Filed under: スペシャル — admin @ 10:00:11

そして、映画の世界へ・・・

S 
映画はいつから?

O 
映画はですね(笑)、家業のガソリンスタンドを継ぐのは
あまりやりたくなかったんですけど、じゃあ何をやるかって別に考えて
いなかったんですね。でもサラリーマンじゃないな、俺にサラリーマンは
無理だって思っていたので。そしてたまたまキネ旬を見てたら
日本映画学校の宣伝が1ページドーンと載っていて。
映画楽しそうだなぁと・・・思い付きですよ。

S 
何か思い出に残っているエピソードなどは?

O 
面接の時に武田一成(映画監督)という強烈なキャラクターの方が
面接をしてくださったんですけど、
「お前この学校に入らない方がいいだろう」
って言われまして。(笑)
そんなこと言う人に会ったことがなかったので、
世の中にはこんなに面白い人がいるんだと。
本当にそれは衝撃だったたんですけどね。(笑)

S
なるほど。(笑)

O 
ひょっとしたら映画に向かないかなとか、肌に合わないかなと思ってたんですけど、
それでもいいやと思って26歳で映画学校に入って、3年間若い連中に交じって
なんでまた学生やってんだろうと思いながら。(笑)
でも、映画学校に入ったら、この仕事するしかないだろうっていう風に思いましたけど。
そうそう、その頃まさに“福本耕平”の時代ですよ。
映画学校の卒業生はこんなの撮っていると。
<注>『福本耕平かく走りき』(’92)はシロウズ久保田の城戸賞受賞&監督デビュー作

S
おおー。

― そこへ話題の久保田が登場。
久保田が日本映画学校の3期生で小沼監督が7期生という先輩後輩関係であることが
明らかに・・・。

O 
ちょうど『福本耕平かく走りき』公開の時期でしたから。
久保田さんは城戸賞も取って、映画も監督して、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで。(笑)

S 
スターだったわけですね。(笑)

久保田 
いやいや・・・。

O 
その時にラジオの公開インタビューの観覧に呼ばれて、
久保田さんがすごい上から目線で答えているのを見て、
映画学校を卒業して成功したらこうなるんだーって思いました(笑)

S 
(一同爆笑)

O 
そういうこともあって(笑)、“映画学校を卒業したら映画撮れるかもしれない”という
希望はありましたよね。
あと、その時に久保田さんが映画の作業で一番面白かったのはなに?という質問に
キャスティングが一番面白かったと答えていたのは今でも覚えていますけど。

S
 へぇー。
でも、そういうことも上から目線で答えてたんですね。(笑)

久保田 
(笑)

助監督時代に・・・

S 
その頃はシナリオは原稿用紙で書いていたんですか?

O 
自分は最初からパソコンで書いていましたね。市販で買ったVZ Editorとか使って
書いてましたね。当時は、98(NEC9800)なんですけど。
Windowsになってからも一太郎とか使ってましたかね。
でも、やっぱり使い勝手が違うとか、俺だったらこうはしないとか、
思い始めるわけですよ。
それから、映画学校の時代にもスケジュールソフトを引き続き作っていたんですけど、
どうしても文章を編集する機能が必要だって事になったんです。
文章をつくる部品を他から借りてもいいんですけど、やっぱり自分で作りたいって
思い始めてですね、それでそれ(O’s Editorの原型)を開発し始めたのが、
卒業してからですかね。助監督をやっているころですね。
当時はO’s Editorという名前もなかったので。

S 
そうなんですか。

O 
それとは別にシナリオの原稿をペラで書くときの字下げがあるじゃないですか。
それを自動的に成型するソフトは作ってたんですよ。
テキストエディターを作り始めるのと同時に、その機能も盛り込んだ方がいいと
思ったのは、助監督をやっていたからですかね。

S 
というと?

O 
助監督で、Vシネとかだと台本じゃなくて、Wordのデータでもらったり
するじゃないですか。そうすると読みづらいし、台本の字数にもなってないので
ページの計算もできないですから、それは不便だなと思って。
違うソフトで書けばいいのになと思って、始めました。

O’s Editor誕生秘話

S 
それがある程度認知され商品になったのは?

O 
最初はある程度のテキストエディターを作ったんですけど、
本格的なシナリオの機能を含めたのは1999年くらいの頃なんです。
その時に助監督はけっこうやってたんですけど、ちょうどカミさんと結婚した直後に、
うちの親父がガンになってしまって。入院しなくてはならないというので、
ちょっと来てくれと言われて。診察した結果を聞きにいったらレントゲンを見せられて、
腎臓が2倍くらいに膨れていて・・・ガンもあちこち転移してたんですよね。
もう明らかにダメだというくらい。でも、うちの親父はバリバリの現役の社長だったので、
「生きる」ということしかない、「働くんだ」「生きるんだ」というタイプの人間だったので、
とてもじゃないけど「あと半年だ」って言えないわけですよ。
しょうがないので入院して、とにかく交替で看病するしかないという感じに
なったんですけど。
それで、助監督をいったん中断してですね、一回田舎に帰って。
おふくろとかと交替でベットのそばにいて、親父が痛がる部分を
3時間も4時間もさするんです・・・。病院ではその他にやることがないので、
パソコンを持ち込んで、作りかけだったO’s Editorをずーっとやってたんですよ。
親父が寝ている時は(パソコンを)カチャカチャやって、目が覚めると身体をさすって・・・
これで、O’s Editorの開発が進んだっていうのはあるんですけどね。
だからもう、自分にとってはO’s Editorの開発してたのを思い出すと、
本当にその状況が浮かびますよね。

S 
そんなエピソードがあったんですね・・・

O 
ちょうど、O’s EditorのVer.2っていうのがシナリオ形式のできたバージョン
なんですけど1999年の5月25日なので、うちの親父はまだ生きていたんですよ。
うちの親父も痛みがあったのでモルヒネを飲んで、だんだん量も増えて
いったんですけど、薬のせいで俺を見ても「お前誰だ」っていうんですよ。
家に一時帰宅しても「ここは家じゃない、早く帰してくれ」とか言うようになって。
あの頃は大変でしたね。そういうことを紛らわす意味でも、
とにかく何かやっていた方がいいということもあったので。
その中でプログラミングをやれてたっていうのは、大きかったですよね、本当に。
それがあって、O’s Editor のVer.2を公開して、だいたい今の原型にはなりましたね。

S 
そんな状況だったとは、ちょっと想像できなかったですね。

映画業界ではすでに常識?!

S
ところで、その時点でどのくらいの人がO’s Editorユーザーだったんですか?

O 
どうですかね?数えたことがないので・・・1000人くらいは使っていたと
思いますけど、トータルで。

S 
ご自分で映画業界の人に営業のようなことは?

O 
それはあんまりやらないですね(笑)
恥ずかしいじゃないですか。

S 
(思わず一同)欲のない人だなぁ・・・。(笑)
O’s Editorを使った業界の人からは、何らかのリアクションがありますか?

O 
そうですね。だんだん現場で言われるようになってきたんですよね。
助監督経由で知ったんですけど、共同テレビ周りでは早かったみたいですよ。(笑)
あと、ある監督の作品に助監督でついた時に、俺が台本形式で印刷するソフトの話を
し始めたら、その監督が「それダメだよ、もう開発されてるから。遅い遅い」って言われて。
それは、俺のソフトだったんですけど。(笑)

S 
(笑)

O 
こないだも装飾の人と監督とシナリオライターとで飲んだ時に、
みんなO’s Editor使ってるって話になって、
その場で要望を出されて、家に帰って直して・・・。(笑)

dscn1457.JPG

商売の才能はない?!

S 
商品登録みたいなことって?

O 
特にないですね。野菜を道端で売っているような感覚ですね。
特許も取ってないんですよね。

S 
取らないものなんですか?

O 
取る人もいますよ。自分はまあ、面倒くさいっていうことだけですけど。(笑)
あとは、ネットの世界の流儀ってやっぱりあるんですよ。文化って言いますか。
みんなのものだっていう。オープンソースみたいな概念も当時からあったんですけど、
要するに開発するには膨大なコストがかかるから、みんなにオープンにして、
みんなで協力し合っていいソフトを作るっていう文化があるんですよね。
シェアウェアもあくまで、パッケージソフトとは違うという気持ちが少し入っていてですね、
ネットの世界では「これはオレのものだ」「特許だ」とかっていう風に囲うことは
嫌われる風土があるんですよ。
それにこだわっているってことでもないんですけど。

S 
誰かが、O’s Editorをそっくりに作ったら?

O 
もし誰かに真似されても、それはそれでいいやと。
真似されたらそれよりももっと良くすればいいんだ、という気持ちがあるので。
とにかく、気軽に使ってほしいというのが一番ですね。

S 
過去に大手メーカーからパッケージソフトにするお話とかは?

O 
一度、別のソフトでありましたけど、基本的には搾取されて終わったので。
人に預けてもいいことないなと思っちゃたんですよね。

久保田 
・・・もしかしてさ、商売の才能ないんじゃないの?(笑)

O 
あんまり興味ないですね。(笑)

S 
今現在のユーザー数は?

O 
数えてないのでわからないんですけどね。
だいたい・・・また1000人増えたくらいですかね、たぶん。(笑)

S 
数えないんですね。(笑)

サポート対応のマル秘話

S
ユーザーに対しては、一人でクレームとか要望とか問い合わせとかの対応を?

O 
そうですね。サポートが色々大変ですね。基本的にメールなんですけど、
一般の人でもどこかから番号を調べて携帯にかかってきたりしますからね。(笑)
たまに怖い電話も・・・昔はけっこうありましたね。
ヤ○ザの追い込みみたいに、
「バグってんだよ!どうなってんだ!」って。
「ちなみにどうやって電話番号しらべたんですか?」って聞いたら、
「うちは探偵だからいくらでもわかるんだよ!」とか。(笑)

S 
(一同爆笑)
ドラマがありますねぇ・・・。

O 
映画業界の人からの直電もありますよ。
業界の代表がプロデューサーのEさんなんですけど、
ある日知らない電話番号から突然電話がかかってきて、
「Eだけど・・・」
(Eって誰だろう?)って思ってたら、
もう、10年来の友達のように
「ちょっと来てほしいんだ」って、呼び出しをくらって。(笑)
それで東京○○○○に行ったら、パソコンの前でEさんが
「これはどうなってるんだ?」って。
その場でレクチャーして・・・。(笑)

S 
実は私もEさんにO’s Editorを教えられたんですけど、
「俺は開発者に直接教えてもらった」って相当自信を持ってたんですよ。
私にも何かのシナリオを送るから読めと、ついてはO’s Editorを入れろ、
入れたら電話してこいって言われて、電話したら、何をしてこれをして・・・って
レクチャーされました。(笑)

O 
Eさんは相当O’s Editorに入れ込んでいるんですよ。
たまにEさんからメールが来ると「O’s Editor宣伝しておいたから」って。(笑)

S 
(笑)

新たなO’s Editorの誕生?!

久保田 
今後のO’s Editorはどうなるの?

O 
正直言って、自分が欲しい機能は大体揃っちゃったんですけど、
時代の流れでUNICODEに対応しなくちゃいけないとか、
いろいろ諸問題はあるんですよね。
あと、アウトラインでツリー上でシーンの構成を見たりとかできるように、
それはEさんからも「早くやれ」って言われているので。(笑)
でも、ちょっと手間がかかるので、長期的展望でやらせてもらおうかな、と。
その他に、なにか要望があれば?

久保田 
予算割り出すソフト作ってよ。「現場、○○○○万じゃ無理っす」みたいな。(笑)

O 
「このソフトが無理って言ってるだろう」って?(笑)

S 
そういえば、ヒット予想ソフトとかあったよね。

久保田 
あと、昔ハリウッドで台本入れるとソフトがカチャカチャ計算して、
「ドラマツルギーにおいての前フリが解決されてません」とか、
「人物の説明がされていません」とか出るソフトが一時期
ちょっとだけ流行ったって。

O 
でも、それってどうやってやってるんですかね?

久保田 
俺は、誰か小っちゃなおっちゃんが読んでるんじゃないかと(笑)

O 
それで返ってきたのが一言「おもしろくねーな」とか?(笑)

S
(一同爆笑)

O 
まあ、プログラムでできることにも限界がありますからね。
とにかく、O’s Editorを作った最初の動機は、
“書く人が楽をしてほしい”と思っていたので。
書く人が、クリエイティブな作業に集中できるというためには、
改行とか字下げとか考えなくていいということを求めていたので、
シナリオライターにとって一番いいソフトでありたいなと思うんですけどね。

S 
シナリオライターの勉強をされている方に広まってほしいですね。
学校とか教育機関とかでも使ってほしいですね。

O 
そうですね。オフィシャルなソフトになるといいいんですけど。
業界内ではだいぶ浸透してきたので。

S 
このインタビューが少しでも普及に役立てばいいですね。(笑)

(2009年1月16日 オフィス・シロウズにて インタビュー:松田、坂巻)

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<最新情報>

小沼雄一監督作品 『童貞放浪記』
http://blog.livedoor.jp/dotei_horoki/
2009年公開予定 乞うご期待!!
sabu.jpg

■解説
東大卒の金井淳は、専任講師として勤め始めた大学でまたも
先輩から因縁をつけられた。いつもそんな立ち位置の人生である。
でも彼には人に言えないコンプレックスがあった。
30歳にして「童貞」なのだ。
そんなある日、大学院の後輩・北島萌と学会で再会した淳は、
初めての恋心に戸惑いつつ童貞を卒業するチャンス到来と胸を躍らせる。
しかし、萌には海外留学への出発日が迫っていた…。
小谷野敦の自伝的小説「童貞放浪記」の映画化作品。

■スタッフ&キャスト
[監督]小沼雄一[原作]小谷野敦[音楽]micromicrorhone
[キャスト]山本浩司 神楽坂恵 堀部圭亮 

小沼監督からのメッセージ
「山本浩司さんと神楽坂 恵さんのほとんどその二人のやり取りがメインなのですが、
二人とも絡みのシーンが初めてで、非常に初々しいというかぎこちなさがリアルな感じで、
そこは見どころです」

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