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そして、映画の世界へ・・・

S 
映画はいつから?

O 
映画はですね(笑)、家業のガソリンスタンドを継ぐのは
あまりやりたくなかったんですけど、じゃあ何をやるかって別に考えて
いなかったんですね。でもサラリーマンじゃないな、俺にサラリーマンは
無理だって思っていたので。そしてたまたまキネ旬を見てたら
日本映画学校の宣伝が1ページドーンと載っていて。
映画楽しそうだなぁと・・・思い付きですよ。

S 
何か思い出に残っているエピソードなどは?

O 
面接の時に武田一成(映画監督)という強烈なキャラクターの方が
面接をしてくださったんですけど、
「お前この学校に入らない方がいいだろう」
って言われまして。(笑)
そんなこと言う人に会ったことがなかったので、
世の中にはこんなに面白い人がいるんだと。
本当にそれは衝撃だったたんですけどね。(笑)

S
なるほど。(笑)

O 
ひょっとしたら映画に向かないかなとか、肌に合わないかなと思ってたんですけど、
それでもいいやと思って26歳で映画学校に入って、3年間若い連中に交じって
なんでまた学生やってんだろうと思いながら。(笑)
でも、映画学校に入ったら、この仕事するしかないだろうっていう風に思いましたけど。
そうそう、その頃まさに“福本耕平”の時代ですよ。
映画学校の卒業生はこんなの撮っていると。
<注>『福本耕平かく走りき』(’92)はシロウズ久保田の城戸賞受賞&監督デビュー作

S
おおー。

― そこへ話題の久保田が登場。
久保田が日本映画学校の3期生で小沼監督が7期生という先輩後輩関係であることが
明らかに・・・。

O 
ちょうど『福本耕平かく走りき』公開の時期でしたから。
久保田さんは城戸賞も取って、映画も監督して、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで。(笑)

S 
スターだったわけですね。(笑)

久保田 
いやいや・・・。

O 
その時にラジオの公開インタビューの観覧に呼ばれて、
久保田さんがすごい上から目線で答えているのを見て、
映画学校を卒業して成功したらこうなるんだーって思いました(笑)

S 
(一同爆笑)

O 
そういうこともあって(笑)、“映画学校を卒業したら映画撮れるかもしれない”という
希望はありましたよね。
あと、その時に久保田さんが映画の作業で一番面白かったのはなに?という質問に
キャスティングが一番面白かったと答えていたのは今でも覚えていますけど。

S
 へぇー。
でも、そういうことも上から目線で答えてたんですね。(笑)

久保田 
(笑)

助監督時代に・・・

S 
その頃はシナリオは原稿用紙で書いていたんですか?

O 
自分は最初からパソコンで書いていましたね。市販で買ったVZ Editorとか使って
書いてましたね。当時は、98(NEC9800)なんですけど。
Windowsになってからも一太郎とか使ってましたかね。
でも、やっぱり使い勝手が違うとか、俺だったらこうはしないとか、
思い始めるわけですよ。
それから、映画学校の時代にもスケジュールソフトを引き続き作っていたんですけど、
どうしても文章を編集する機能が必要だって事になったんです。
文章をつくる部品を他から借りてもいいんですけど、やっぱり自分で作りたいって
思い始めてですね、それでそれ(O’s Editorの原型)を開発し始めたのが、
卒業してからですかね。助監督をやっているころですね。
当時はO’s Editorという名前もなかったので。

S 
そうなんですか。

O 
それとは別にシナリオの原稿をペラで書くときの字下げがあるじゃないですか。
それを自動的に成型するソフトは作ってたんですよ。
テキストエディターを作り始めるのと同時に、その機能も盛り込んだ方がいいと
思ったのは、助監督をやっていたからですかね。

S 
というと?

O 
助監督で、Vシネとかだと台本じゃなくて、Wordのデータでもらったり
するじゃないですか。そうすると読みづらいし、台本の字数にもなってないので
ページの計算もできないですから、それは不便だなと思って。
違うソフトで書けばいいのになと思って、始めました。

O’s Editor誕生秘話

S 
それがある程度認知され商品になったのは?

O 
最初はある程度のテキストエディターを作ったんですけど、
本格的なシナリオの機能を含めたのは1999年くらいの頃なんです。
その時に助監督はけっこうやってたんですけど、ちょうどカミさんと結婚した直後に、
うちの親父がガンになってしまって。入院しなくてはならないというので、
ちょっと来てくれと言われて。診察した結果を聞きにいったらレントゲンを見せられて、
腎臓が2倍くらいに膨れていて・・・ガンもあちこち転移してたんですよね。
もう明らかにダメだというくらい。でも、うちの親父はバリバリの現役の社長だったので、
「生きる」ということしかない、「働くんだ」「生きるんだ」というタイプの人間だったので、
とてもじゃないけど「あと半年だ」って言えないわけですよ。
しょうがないので入院して、とにかく交替で看病するしかないという感じに
なったんですけど。
それで、助監督をいったん中断してですね、一回田舎に帰って。
おふくろとかと交替でベットのそばにいて、親父が痛がる部分を
3時間も4時間もさするんです・・・。病院ではその他にやることがないので、
パソコンを持ち込んで、作りかけだったO’s Editorをずーっとやってたんですよ。
親父が寝ている時は(パソコンを)カチャカチャやって、目が覚めると身体をさすって・・・
これで、O’s Editorの開発が進んだっていうのはあるんですけどね。
だからもう、自分にとってはO’s Editorの開発してたのを思い出すと、
本当にその状況が浮かびますよね。

S 
そんなエピソードがあったんですね・・・

O 
ちょうど、O’s EditorのVer.2っていうのがシナリオ形式のできたバージョン
なんですけど1999年の5月25日なので、うちの親父はまだ生きていたんですよ。
うちの親父も痛みがあったのでモルヒネを飲んで、だんだん量も増えて
いったんですけど、薬のせいで俺を見ても「お前誰だ」っていうんですよ。
家に一時帰宅しても「ここは家じゃない、早く帰してくれ」とか言うようになって。
あの頃は大変でしたね。そういうことを紛らわす意味でも、
とにかく何かやっていた方がいいということもあったので。
その中でプログラミングをやれてたっていうのは、大きかったですよね、本当に。
それがあって、O’s Editor のVer.2を公開して、だいたい今の原型にはなりましたね。

S 
そんな状況だったとは、ちょっと想像できなかったですね。

映画業界ではすでに常識?!

S
ところで、その時点でどのくらいの人がO’s Editorユーザーだったんですか?

O 
どうですかね?数えたことがないので・・・1000人くらいは使っていたと
思いますけど、トータルで。

S 
ご自分で映画業界の人に営業のようなことは?

O 
それはあんまりやらないですね(笑)
恥ずかしいじゃないですか。

S 
(思わず一同)欲のない人だなぁ・・・。(笑)
O’s Editorを使った業界の人からは、何らかのリアクションがありますか?

O 
そうですね。だんだん現場で言われるようになってきたんですよね。
助監督経由で知ったんですけど、共同テレビ周りでは早かったみたいですよ。(笑)
あと、ある監督の作品に助監督でついた時に、俺が台本形式で印刷するソフトの話を
し始めたら、その監督が「それダメだよ、もう開発されてるから。遅い遅い」って言われて。
それは、俺のソフトだったんですけど。(笑)

S 
(笑)

O 
こないだも装飾の人と監督とシナリオライターとで飲んだ時に、
みんなO’s Editor使ってるって話になって、
その場で要望を出されて、家に帰って直して・・・。(笑)

dscn1457.JPG

商売の才能はない?!

S 
商品登録みたいなことって?

O 
特にないですね。野菜を道端で売っているような感覚ですね。
特許も取ってないんですよね。

S 
取らないものなんですか?

O 
取る人もいますよ。自分はまあ、面倒くさいっていうことだけですけど。(笑)
あとは、ネットの世界の流儀ってやっぱりあるんですよ。文化って言いますか。
みんなのものだっていう。オープンソースみたいな概念も当時からあったんですけど、
要するに開発するには膨大なコストがかかるから、みんなにオープンにして、
みんなで協力し合っていいソフトを作るっていう文化があるんですよね。
シェアウェアもあくまで、パッケージソフトとは違うという気持ちが少し入っていてですね、
ネットの世界では「これはオレのものだ」「特許だ」とかっていう風に囲うことは
嫌われる風土があるんですよ。
それにこだわっているってことでもないんですけど。

S 
誰かが、O’s Editorをそっくりに作ったら?

O 
もし誰かに真似されても、それはそれでいいやと。
真似されたらそれよりももっと良くすればいいんだ、という気持ちがあるので。
とにかく、気軽に使ってほしいというのが一番ですね。

S 
過去に大手メーカーからパッケージソフトにするお話とかは?

O 
一度、別のソフトでありましたけど、基本的には搾取されて終わったので。
人に預けてもいいことないなと思っちゃたんですよね。

久保田 
・・・もしかしてさ、商売の才能ないんじゃないの?(笑)

O 
あんまり興味ないですね。(笑)

S 
今現在のユーザー数は?

O 
数えてないのでわからないんですけどね。
だいたい・・・また1000人増えたくらいですかね、たぶん。(笑)

S 
数えないんですね。(笑)

サポート対応のマル秘話

S
ユーザーに対しては、一人でクレームとか要望とか問い合わせとかの対応を?

O 
そうですね。サポートが色々大変ですね。基本的にメールなんですけど、
一般の人でもどこかから番号を調べて携帯にかかってきたりしますからね。(笑)
たまに怖い電話も・・・昔はけっこうありましたね。
ヤ○ザの追い込みみたいに、
「バグってんだよ!どうなってんだ!」って。
「ちなみにどうやって電話番号しらべたんですか?」って聞いたら、
「うちは探偵だからいくらでもわかるんだよ!」とか。(笑)

S 
(一同爆笑)
ドラマがありますねぇ・・・。

O 
映画業界の人からの直電もありますよ。
業界の代表がプロデューサーのEさんなんですけど、
ある日知らない電話番号から突然電話がかかってきて、
「Eだけど・・・」
(Eって誰だろう?)って思ってたら、
もう、10年来の友達のように
「ちょっと来てほしいんだ」って、呼び出しをくらって。(笑)
それで東京○○○○に行ったら、パソコンの前でEさんが
「これはどうなってるんだ?」って。
その場でレクチャーして・・・。(笑)

S 
実は私もEさんにO’s Editorを教えられたんですけど、
「俺は開発者に直接教えてもらった」って相当自信を持ってたんですよ。
私にも何かのシナリオを送るから読めと、ついてはO’s Editorを入れろ、
入れたら電話してこいって言われて、電話したら、何をしてこれをして・・・って
レクチャーされました。(笑)

O 
Eさんは相当O’s Editorに入れ込んでいるんですよ。
たまにEさんからメールが来ると「O’s Editor宣伝しておいたから」って。(笑)

S 
(笑)

新たなO’s Editorの誕生?!

久保田 
今後のO’s Editorはどうなるの?

O 
正直言って、自分が欲しい機能は大体揃っちゃったんですけど、
時代の流れでUNICODEに対応しなくちゃいけないとか、
いろいろ諸問題はあるんですよね。
あと、アウトラインでツリー上でシーンの構成を見たりとかできるように、
それはEさんからも「早くやれ」って言われているので。(笑)
でも、ちょっと手間がかかるので、長期的展望でやらせてもらおうかな、と。
その他に、なにか要望があれば?

久保田 
予算割り出すソフト作ってよ。「現場、○○○○万じゃ無理っす」みたいな。(笑)

O 
「このソフトが無理って言ってるだろう」って?(笑)

S 
そういえば、ヒット予想ソフトとかあったよね。

久保田 
あと、昔ハリウッドで台本入れるとソフトがカチャカチャ計算して、
「ドラマツルギーにおいての前フリが解決されてません」とか、
「人物の説明がされていません」とか出るソフトが一時期
ちょっとだけ流行ったって。

O 
でも、それってどうやってやってるんですかね?

久保田 
俺は、誰か小っちゃなおっちゃんが読んでるんじゃないかと(笑)

O 
それで返ってきたのが一言「おもしろくねーな」とか?(笑)

S
(一同爆笑)

O 
まあ、プログラムでできることにも限界がありますからね。
とにかく、O’s Editorを作った最初の動機は、
“書く人が楽をしてほしい”と思っていたので。
書く人が、クリエイティブな作業に集中できるというためには、
改行とか字下げとか考えなくていいということを求めていたので、
シナリオライターにとって一番いいソフトでありたいなと思うんですけどね。

S 
シナリオライターの勉強をされている方に広まってほしいですね。
学校とか教育機関とかでも使ってほしいですね。

O 
そうですね。オフィシャルなソフトになるといいいんですけど。
業界内ではだいぶ浸透してきたので。

S 
このインタビューが少しでも普及に役立てばいいですね。(笑)

(2009年1月16日 オフィス・シロウズにて インタビュー:松田、坂巻)

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<最新情報>

小沼雄一監督作品 『童貞放浪記』
http://blog.livedoor.jp/dotei_horoki/
2009年公開予定 乞うご期待!!
sabu.jpg

■解説
東大卒の金井淳は、専任講師として勤め始めた大学でまたも
先輩から因縁をつけられた。いつもそんな立ち位置の人生である。
でも彼には人に言えないコンプレックスがあった。
30歳にして「童貞」なのだ。
そんなある日、大学院の後輩・北島萌と学会で再会した淳は、
初めての恋心に戸惑いつつ童貞を卒業するチャンス到来と胸を躍らせる。
しかし、萌には海外留学への出発日が迫っていた…。
小谷野敦の自伝的小説「童貞放浪記」の映画化作品。

■スタッフ&キャスト
[監督]小沼雄一[原作]小谷野敦[音楽]micromicrorhone
[キャスト]山本浩司 神楽坂恵 堀部圭亮 

小沼監督からのメッセージ
「山本浩司さんと神楽坂 恵さんのほとんどその二人のやり取りがメインなのですが、
二人とも絡みのシーンが初めてで、非常に初々しいというかぎこちなさがリアルな感じで、
そこは見どころです」

Filed under: スペシャル — admin @ 14:00:03

シナリオを書くには、字下げや改行において実は色々と形式がある。
その形式に煩わされることなく、文字を打ち込めば
自然とシナリオ形式に出来上がるという、画期的なソフトがある。
その名もO’s Editor(オズエディター)。
http://ospage.jp

このO’s Editorはシナリオ以外の大学ノートや原稿用紙などの
形式にも対応。映画業界のみならず、様々な分野のライターにとっても
本当に重宝するソフトです。

今回は、映画監督として活躍する一方で、そのO’s Editorを開発した
小沼雄一さんをお迎えして、O’s Editorの魅力や開発秘話、
映画業界に入ったきっかけなどお話を伺います。
今年公開の最新作『童貞放浪記』も要チェックです!
http://blog.livedoor.jp/dotei_horoki/

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初めてのパソコンとの出合い

S(シロウズ)
シロウズ内でもみんなO’s Editorユーザーです。
こんな画期的なソフトをもっと世に知らしめたほうが
いいのではないかと思いまして・・・(笑)

O(小沼監督)
ありがとうございます(笑)

S 
まずは、どういういきさつでソフトを開発することになったのか・・・
そもそも、パソコンを最初に触ったのは?

O 
一番最初、高校1年生の時にオヤジがNECのPC6000-1という、
当時パピコンと呼ばれていた子供向けのパソコンを買ってきたんですね。
無理やり親戚に買わされたみたいなんですけど。
それに、とたんにハマっちゃいまして。
もちろん当時はインターネットとかない時代で、
画面も今みたいなビジュアルはなくて文字だけの世界で、
それをTVに繋いでやるんですよ。

S
TVに繋いで?!

O
当然、ソフトなんて入ってないんですよ。
ただ、プログラム言語は入っているので、
1+1=2とかってことは出来るんですよ。
それをだんだん複雑にしていくと、プログラムが組めて
ソフトみたいなものが作れるんですね。

S 
なるほど。

O 
それで、一番最初に作ったのが、じゃんけんゲーム。
じゃんけんのグー・チョキ・パーを1・2・3で選択して
パソコンと勝負をして、勝ったか負けたか、それだけのプログラムなんですけど。
だんだん複雑になって、オセロゲームも作りました。
自分で作るだけじゃなくて、当時のパソコン雑誌に数字でプログラムが
ずーっと16進数で丸ごと書いてあるのを全部自分で打ち込んで、
ソフトをやっとパソコンの中に入れて遊んだり。
今だったらソフトをダウンロードしてインストールっていう形ですけど、
当時はそんなものはないので。

S 
へぇー。(感心)

O 
一応記録もできるんですけど、記録は基本的にテープレコーダーの
カセットテープだったんです。フロッピーもありましたけど、
一般的には出回っていなかったので。
フロッピーって、すごい高価なものだったんです。
かれこれ・・・25年前くらいですかね。そういう時代がありまして。

S
(プログラミングの)素質があったんですね?

O
地道にコツコツやるのが好きだったんです。
プログラミングをしていると、当然バグとかが出てくるので、
それをやっては直しやっては直し・・・で、完成する
その作業が好きだったんですね。

dscn1452.JPG

自作ソフトをネット上に初公開

S 
そのままプログラマーの道には進まずに?

O 
当時は学生をやりつつ、パソコンもだんだん進化していくので、
また新しいパソコンを買って、複雑なプログラムを組んだりしてたんですけど。
大学生の頃にインターネットの前のパソコン通信と言われる
ニフティサーブがあったんですけど、そこでソフトを作って
公開することができるようになったんですよ。

S
パソコン通信・・・懐かしいですね
 
O
その時に、自分が作って初めて公開したのが
スケジュール管理ソフトなんですけど、割と反響があったんで、
こっちも有頂天になってどんどん改良していったんですよね。
その時はフォーラムっていうのがあって、今で言うコミュニティみたいに
パソコンを通じて他の人とやりとりができました。
ユーザーの人から、こうしてくれああしてくれって言われるとうれしくて、
もっと機能を増やしていこうという感じで・・・
だいぶのめり込みましたね、その頃は。

S 
無料でソフトのやりとりを?

O 
そうですね。最初は無料でやってたんですけどね。
有料にしたのは、まだ映画業界とはまったく別の仕事をしていた時ですね。
その頃は働きながらソフト作りをしてまして。

S 
別の仕事というのはコンピューター関係ではなくて?

O 
全然違います(笑)
うちはガソリンスタンドで、当初は家業を継ぐつもりだったので、
別の会社のガソリンスタンドで寮に入って働いていました。

S 
その頃ソフトを開発されるのは皆さん趣味ですよね?

O 
基本的には趣味ですね、みんな。
最初はあくまで趣味の領域でやりとりしていたし、
向こう側にいる人(ソフトの利用者)とのやりとりもけっこうあったので、
お金を取るのがあんまりいいことじゃない感じがあったんですけど。
初めて“シェアウェア”という呼び方が出てきて、
ソフトを有料にするという流れが出始めまして、自分もその流れにのって、
スケジュールソフトを1個1000円でやり始めたんです。

S 
そこで有料にしたんですね。

O 
“シェアウェア”って普通の商品とは違って、対価を分け合うという意味なんですね。
分け合うソフトウェアだって。
こっちがみんなの欲しいソフトに対して負担するので、
みんなもちょっとだけお金を払ってくださいという概念だったんですね。
安いので、一般の市販しているソフトほどはサポートはできないけど・・・
っていうのが広まっていったんです。
それでもまだインターネットではなくパソコン通信の時代ですね。
当時のパソコンはNEC9800シリーズが主流だったんですけど。

S 
歴史がありますね。

パソコン通信からインターネットの時代へ

O 
パソコンの歴史って短い間にどんどん変わるので。
Windowsが出始めて、Windows用のソフトもみんな作り始めて、
インターネットも徐々に広まり始めて、Windows95あたりで
もう今の原型のようなインターネット環境ができて。
そうするともう一般にソフトを売るということ自体が
普通に認識され始めたんですよね。

S 
パソコン通信の時代は日本国内だけのやりとりだったんですよね?
Windowsが出た時の衝撃とか周りの反応は?

O 
流れとしては、Windowsの前の98もNECっていう
日本のメーカーなんですけど、Windowsのマイクロソフトが普及させた
MSDOSという基本ソフトだったんです。
だから、そんなに日本から世界へという感じではなく、
Windowsになったのは必然という感じだったんです。
インターネットは世界に繋がったっていうこともあるんですけど、
今までにない概念だなというのはありました。

S 
インターネットも一番最初のころから?

O 
どれを最初の段階というか・・・
インターネットはUNIXというWindowsとは違う基本ソフトで
大学を中心に広まったネット環境なので、パソコンの人たちが
インターネットと繋がったのは、インターネットが普及してからなんですよね。
いずれはくっつくだろうと言われながら、結構長い時間がかかっているんです。
ただ、一回インターネットと融合しちゃうと、もう早かったですけど。

S 
そうだったんですか。

O 
当時はパソコンやってるなんていうと「なにそれ」という反応でしたからね(笑)
まさか、みんなが使うことになるなんて、夢にも思わなかったですからね。
あくまでマイナーなものでしたから。(笑)

S 
それが、誰もが使うようになるなんて(笑)

O
Windows95が(メジャーなものへの)分岐点だったと思うんですけどね。
パソコン通信やってた人たちはむしろインターネットに乗り遅れたっていう
感じがあるんですよね。
逆にパソコン通信からインターネットの流儀に慣れるというのが大変でした。
インターネットは最初は本当に学術的なところで作られたものだったので。

S 
ええ、なるほど。

O 
むしろ、自分がネットをやったのはパソコン通信だったので、
最初にNIFTYサーブに接続して、書き込みをして、
返事が来るという衝撃はすごかったですね。
この中(パソコン)に人がいるという。(笑)

S 
そっちの方が衝撃だったわけですね。(笑)
当時からオフ会とかあったんですか?

O 
自分のソフトを中心としたフォーラムにいたので、
そこの人たちとは何回かオフ会もありましたね。
普通の居酒屋で飲んだりとかしたんですけど(笑)
当時は本当に狭い世界だったので、もう自分たちで
ソフトを育てようという感じでしたね。

S 
割と同年代の方ですか?

O 
そうですね。たぶん今の40代から50代くらいの人が
一番やってたんじゃないですか。

S 
それだけプログラムを組めるのに、
そちらの道に進まなかったのはなぜですか?

O 
それを仕事にしてしまうとちょっと違うと思ったんですよね。
仕事にしちゃうとお客さんの要望に合わせたり会社の方針に従ったり、
作りたくないモノの部品だけを作らされたりとかになっちゃうので。
やっぱり作りたいものをゼロから作るというのが、楽しかったわけなので。
多少シェアウェアでおこづかい程度のお金も入るので、
だったら趣味としてやっておいた方がいいかな、というのが
ずっと一貫して変わらないですね。

<後半へ続く・・・>

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<最新情報>

小沼雄一監督作品 『童貞放浪記』
http://blog.livedoor.jp/dotei_horoki/
2009年公開予定 乞うご期待!!
m2.jpg

■解説
東大卒の金井淳は、専任講師として勤め始めた大学でまたも
先輩から因縁をつけられた。いつもそんな立ち位置の人生である。
でも彼には人に言えないコンプレックスがあった。
30歳にして「童貞」なのだ。
そんなある日、大学院の後輩・北島萌と学会で再会した淳は、
初めての恋心に戸惑いつつ童貞を卒業するチャンス到来と胸を躍らせる。
しかし、萌には海外留学への出発日が迫っていた…。
小谷野敦の自伝的小説「童貞放浪記」の映画化作品。

■スタッフ&キャスト
[監督]小沼雄一[原作]小谷野敦[音楽]micromicrorhone
[キャスト]山本浩司 神楽坂恵 堀部圭亮 

小沼監督からのメッセージ
「山本浩司さんと神楽坂 恵さんのほとんどその二人のやり取りがメインなのですが、
二人とも絡みのシーンが初めてで、非常に初々しいというかぎこちなさがリアルな感じで、
そこは見どころです」

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