Filed under: スペシャル — admin @ 18:27:45

よーい、スタートをかける助監督?
S 
撮影期間は?

K  
5月の16日から16日間ですね。おとん役の雀々さんと、
おかん役の秋野さんのスケジュールが合わなくて。
最初の3日と最後の3日しか二人がそろう日がなかった。
はじめの3日で不動産屋をまとめて撮り、最後の3日で一軒家(隠れ家)の
ドタバタをまとめて撮影しました。しかも中間試験の時期で、
高校生が期間中何日か来られない。
16日間しかないのに、そのうち2日くらいは午前中に撮るものがない!(笑)。
「おーい、すごい晴れてるよ!うー、ほんとに何にも撮るものないのぅ?」と。

S 
監督としての立ち位置としては初だったわけですよね。
イメージしていたようにふるまえましたか?

K 
いや、途中からは助監督も兼ねてたんで。
というのはスケジュールや予算その他でいつも仕事している制作部、
演出部に参加してもらうのは無理でして、ついてくれたのは
大阪の自主映画の人たちが多かったんで、やはり、
プロの現場でやってきてるスタッフのようにはいかないところがいろいろあって。
そんなわけで、最終的なOKを出すというところは今までとは違いましたけど、
それ以外は、助監督との仕事とグラデーションでつながってて。
「よーい、スタート」をかける助監督みたいな。段取りもしてカチンコも打つ(笑)。
やばい雰囲気をかぎつけて、助監督仲間の先輩、武正晴さんが
応援にきてくれたので、助かりました。
武さんと僕と秋野さんで現場を回しているという状態でしたね(笑)。

kazoku_main1.JPG
(c)2006シマフィルム

S 
ロケ場所はとてもよかったです。

K 
あああ、最終的にはなんとかねえ。
でも、密会場所の一軒家も、最初にロケハンで連れていかれたのは、
いまどき見たことないような6棟続きの文化住宅みたいなので、
6畳一間のくらーいアパート。
「え? これは何のつもり?」
「一軒家です」
「いや、一軒家じゃないけど、まあ、まあ、仮に一軒家だとしよう。
で、ここに入って“なかなかいい家やろ?”って愛人に言える? 
君、言える? 言えたら変な人だよね。ここで密会したくないでしょ、
君が浮気するとしたら。なんでここにしたん?」
「家賃が4万円だったんですよ」
「いやいやいや、それはロケセット費とかいろいろあると思うよ、
でもそれ、このロケハンの場で言わんほうがいいと思うよ。
そこは知恵でしょ、知恵」

S 
(小林監督の漫談のようなトークに笑)

K 
結局、映画にもちらっと出ている不動産屋のおっちゃんが協力してくれて、
あの一軒家に。実際は3間続きなんですが、1間つぶして、押入れ作って。
美術部の宇山君が頑張ってくれたので、結果としてはいけたと思うんですけどね。
でも、文化住宅を提案してきた子が不動産屋は見つけてきてくれて。
もう、取り壊すというところだったのを撮影のためにのばしてくれた。
何をしてもいい、あるものも使っていいという好条件。
しかも入ってどんつきの壁が、まるでセットみたいに開くんですよ。
まるで引きジリのためとしか思えない構造で。
お父さんが、不動産屋に入ってきて、思いがけず愛人がいるから
そのままぐるっと引き返すところなんかはその引きジリがあったから撮れたカットです。

S 
映画はときどきそういう奇跡を呼び込みますね。

K 
いや、そうなんですよね。そういう瞬間はありますね。

毎カット、支障だらけ
S 
いろいろ大変だったようですが、監督は切れたりはしなかったんですか? 

K 
最終日には1回切れましたね。
最終日は朝の3時くらいから準備して、愛人のゆかりが賢治に別れ際、
「がんばりや」と言うシーンを明け方にいいかんじで撮って、
6時から10時までは愛人とおとんが密会している居酒屋のシーンをこなして…
すごく順調だったんですよ。
次がグランドのフェンスわきでお父さんビール飲んでるところに
息子が来るというシーン。むこうでは少年たちが草野球してる、という設定でした。
ロケ場所のグランドに先発(ほかのスタッフより先のりすること)して、
僕は近くで弁当かなんか食べてたら、監督補(クレジットでは演出部応援)の武さんが
現場を見て戻ってきて、なんか様子が変なんですよ。
「んー、あのさあ、野球はするの?」
って聞くんですよ。
「え? しますよ、なんでですか?」
って、あわてて見に行ったら、草が伸びすぎちゃって
『風の谷のナウシカ』撮るみたいなことになってるよー、と(笑)。
ロケハンのときも雑草は生えてたんですが
「まあ草野球だし、そんなにきっちり整備されてなくてもええよ」とは
言いましたよ。でも、その後、誰も一度も見に来てないってどういうことだっ!! 
助監督があわてていまさら軍手で抜こうとしてるから、
「いやいや、そこにドンキホーテって店があります。
そこで300円くらいで鎌を売ってるから、すぐ買いに行って。
5本! 金なら出します。頼むから、汁たらしながら、
そんな軍手でぬかんでくれ!」と。

S 
(あまりのトークの面白さにふたたび爆笑)

K 
さらに、助監督がボーボーの草むらの“腐海”に消えて行って。
自殺でもするのかな、と思ったら戻ってきて、なんか小さな声で言うんですよ。
「エキストラがちょっと…」
「え? なに? 言うなら最後まで言おう」
「エキストラがちょっと少なくて…」
「何人いてんの?」
「10人」
「え?」
「10人」
「あああ、まあ、10人ね。まあ、わかりました。
アングル変えて、こうしてああして、なんとかごまかすしかないでしょ」
「内トラいれて10人」
「は? その割合は?」
「…」
「内トラ(スタッフがエキストラを兼ねること)っていっても
ここはみんな車止め(撮影の都合で通行する車に一時的に止まって協力していただくこと)とか
やることあるから無理でしょ。内トラなしで! なしだと何人?」
「ふたり…」
「! ふたり? ふたりじゃ草野球できないよね」
結局、草刈ってるのばからしくなって。
延期。

残りは自転車の走りでの登下校シリーズと病院の表。
谷村美月さんが、その日を逃すともうスケジュールがないから、
そのふたつはどうしても消化しないとダメなんですよ。
片や病院もロケ場所に時間制限がある。
しかもそこに決まったのが2日前なんで、映画用にかけかえる看板が
間に合うかどうかが心配だったんですが、「どうなの?」と聞いたら
「2時にはできます」と。
じゃ、まあ、ぎりぎり間に合うな、と。
「いま、現場に向かってます」って言うから、
ロケ場所でいろいろ別の準備してるんだけど、なかなか届かない。
「看板、どう?」
「向かってます」
「いや、それはさっきの情報でしょ。今、確認して!」
と、促したら、なんか携帯で話してから
「どこまで写りますか?」
って言うんですよ!
それじゃ、これから作るんじゃないかっ!
そこで、切れました。
「向かってる」と誰が言ったんだ!
嘘をつくな、嘘を!と
その時は16日間に耐えたものが爆発しました(笑)。

S 
(笑いごとじゃないが、さらに爆笑)

K 
次の現場に移動する車中で
「こんな日はねえ、2度あることは3度あるんですよ。
きっと。道で撮ろうとしたら工事中とかなんですよ!」と
すねながら言ってたら、なんかハイライダー(作業用のクレーンを備えた車。
撮影現場でも照明のために使用することがある)が見えてきた。
「ハイライダー? 今日、そういう照明にはならないね。
そもそもないよね、この現場には。あ、乗ってる人、ヘルメットかぶってるし」

S 
(笑いごとじゃないが、さらにさらに爆笑)

K 
ほんとに工事中だったんですよね。それで予定していた場所が
没になり、そこからあわててロケハンして。すごい30分でした。

S 
いやー、でも、そうは見えませんよ(笑)。

K 
いっぱいありましたね。いろいろありましたね。
車止めしてるとき、どうしても止まってくれないおっちゃんがいて。
あぶないからって、プロデューサーの中村さんが当たりにいって、
自分からフェンダーを蹴っといて道に倒れ込んだんですよ。
さすがに、そのおっちゃんも「あああ」って車を止めたんですね。
早く、病院に!って騒ぎになって、僕も頭まっしろですよ。
ああ、ついに怪我人を出してしまった。
やっぱり、こういう無茶を現場で重ねてはいけない。
もう、このカットはあきらめよう、ってすごくブルーになって
中村さんを乗せた車を見送ってたら、その車が1周して帰ってくるんですよ。
中村さん、元気に降りてきて「あ、芝居、芝居」って。
「どこで、そんな芝居覚えたんだぁっ!!」

S 
面白すぎますねえ(笑)。

K 
ええ。DVDにはそんなこんなのメイキングが1時間、ついてます。

助けてくれた役者さんたち

S 
ロケ場所について奇跡を呼びこんだ話をうかがいましたが、
お芝居に関してはそういう瞬間はありましたか?

K 
秋野さんのいろんなことは面白かったですね。
後半、夫の浮気をみんなが知っていた、とわかった瞬間に過呼吸になるところとか。
あれは、思いつかないですよね。こちらから何も言ってないから。
なんか倍音みたいな音が出てるんですよね。あれはすごいなーと思いました。

kazoku_sub2.JPG
(c)2006シマフィルム

S 
雀雀さんと秋野さんのかけあいは楽しかったですね。

K 
お二人で息があって楽しくなってきて、こんなん面白い、
こんなん面白いと足してくれる。それはありがたい反面、
完全に安心しちゃうと舞台劇っぽいことになりがちなんです。
初日から、お昼休みをはさむととにかく増えてる(笑)。
採用したものもたくさんあるんですけど、「いや、それはナシで」と引き算もして。
「嫌いなん?」「いや、嫌いじゃないんですけど、編集で切ることになるんですよ」
「そおお? そおお? 面白いのになあ」なんて嫌がられながら。

S 
テントさんとはどうでしたか?

K 
あ、テントさんはキタキツネとか猫を撮るのといっしょなんで。
猫が猫らしい仕草をできるような快適な状態にする、以上、ですね。
何にもしてません。

S 
谷村美月さんは?

K 
すごく、いいですね。舞台挨拶かなにかで「監督はどうでした?」と聞かれて、
「走り回ってて助監督さんみたいでした」と笑顔で答えてましたね。笑顔の毒舌(笑)。
いろんなことをしっかり見てるんですよ。
 彼女のシーンで編集で落としたところもあるんですが、
切っても彼女の印象は弱まらない。それはすごいな、と。
どんなシーンか? あ、それはDVD特典に入ってます!(笑)。

S 
愛人役が、いかにも愛人然としていない、ちすんさんだったことは
作品の色合いを作っていました。

K  
不倫関係がこのままもつれて包丁が出てくることが予感される人だとちがうな、と。
ドロドロのところに踏み入れない、ある明るさのある人がいいな、と思ってました。
もともと舞台の人なので、舞台芝居を崩していくことをリハでやりました。
ドタバタの最終日に撮影した、賢治との別れのシーン。
「がんばりや」のところのゆかりと賢治は好きなんです。あのときの彼女の顔はいいです。
ゆかりと賢治の間には疑似恋愛というか、もっとつながるシーンがなくては
駄目だと思っていたんだけど、彼女の笑顔の寄りで「まあ、いいか」と思えたんで、
僕自身が救われました。
彼女、背、高いんです。170くらいある。
女性ふたりが背が高かったなあ。秋野さんも170くらい。

S 
秋野さんの衣裳あわせは商店街だったとか?

K 
いちおう、衣裳あわせの場所に何着かは用意されてましたが、
20分くらいしたら、秋野さんが「ここにはないと思うわ、行きましょ」って、
外に出てしまって。スタッフ、あわてて後を追う、みたいな。
十三の商店街のおばちゃんショップをずーっと回って。
「これどう? 4000円? 高いな?高いな?」って
予算まで気にしてもらいました。
で、帰りに「わたしな、こういう衣装合わせはじめて」って。
「僕もはじめてです。すみません」(笑)。
いや、ほんと、秋野さんじゃなかったら成り立たなかった。
秋野さんと初めて顔合わせした日、タクシーのところに見送りにいったんです。
その別れ際に聞いたんですが、何年か前にぴあ出身の新人監督の作品に
出はったことがあって、メインスタッフはベテランだったんですって。
監督が、こっちからこう撮りたいといっても、そんなの成りたたないよ、
というモードになってたんだと。それがすごく嫌だった、ベテランこそ
いろんな引き出しをもってるんだから、助けてあげるべきじゃないか。
「だから、私、頑張るから、なんでも言って」と別れていきはった。
おお、かっこよすぎるなー、と。いいセリフでしたねえ。

つまるところ男の子の話に

S 
撮影した素材を見たときはいかがでしたか?

K 
落ち込みますよね。うーん。脚本の問題もあるし、カットが足りないというか、
丁寧に撮ってるのとは違う、あるいは美術的、演出的なことで心残りがあるとか。

S 
編集しながらお客さんの顔は浮かんでましたか?

K 
自分しかいなかったですね。具体的なターゲットとかは浮かんでないですね。
編集の宮島さんからサジェスチョンしてもらって変わったところはけっこうありますね。
撮影のときからテンポで見せきる、というのは考えていたので、
妙な間はなるべく詰めていきたいな、と。そういう作業でした。
あとは、ちゃんと「賢治の話」に見えるようにしたいな、と。
話が飛びますが、秋野さんと顔合わせしたときに
「小林さん、この映画は、つまるところ何? なんの話?」と
ズバッと切り込んでこられたんですよ。
うーん、これはどういう答えを聞きたいんだろう、とパニックになりましたね。
それを見て「家族の話なの、男の子の話なの?」と助け舟出してくれて。
え? 自分は主役じゃないってことを確認したいのかな、いや、どうなんだろう、
でも、自分が思ってることを言うべきだろう。
で、「『かぞくのひけつ』というタイトルはついてますが、まあ、男の子の話です」と
答えたんです。うじゃうじゃした家族をもっている男の子が、
親たちのようにはなりたくないが、女の子とはつきあいたくて悩む話、と
補足したかもしれません。
脚本づくりのときもそうでしたし、編集のときもそれは気にしてました。

S 
『かぞくのひけつ』というタイトルは?

K 
ずっと仮題のままでしたが、最終的にも残りました。
ひらがなになったのは、なんか書いてみたらよかったから。
時間がないのにシナリオの表紙のデザインしましたね。

S 
タイトルバックの文字も監督が作られたんですか?

K 
手彫り、コマ撮りですね。家で1日かけて撮りましたね。
じぶんちで。『ウォレスとグルミット』は大変だなーと言いながら。
ほんとはローリングもそうしたかったけど、時間がなくて。

S 
なんとか公開には間に合ったんですね?

K 
結局、夏のイベントで上映するというのはなくなって、
その年、2006年の12月2日に公開しました。
あ、ちょうど2年前ですね!
東京は、去年の12月にユーロスペースでやりました。

S 
公開のときはお客さんの反応を観ましたか?

K 
十三での上映はなんどか立ち会いました。
盛り上がってるんだけど、地元だから、
「ああ、あれ誰さんの家や!」
「なんとかさんや、なんとかさんや」と。
そういう意味で、ほんとの意味で反応がいいと言えるのかどうかは
わかりませんが。でも上映中に笑い声や話声がするのは嫌いじゃないんで、
「いいなあ」と思ってました。

S 
私もユーロスペースで拝見したんですが、お客さんたちが
すごく笑ってました。今回、家でビデオでも見直しましたが、
やはり劇場で観るのに向いているな、観るべき映画だなと思いました。
共有感があるというか。

K 
それはうれしいです。

個人と集団、そして映画

S 
今後のご予定は?

K 
いや、もう目の前にあるやつをやるだけですね。
小器用で終わっちゃいけないな。冒険しないとな。

S 
また、大阪を舞台に?

どうでしょう。大阪だけになるのはいやなんですけど。
『てれすこ』みたいなのを、ちゃんと上方落語でやる、
というのはいつかはやりたいですねえ。ちょんまげ時代なのか、
明治あたりの話かはわかりませんが。

ここで佐々木社長登場。
小林監督は、ドキュメンタリーの仕事を終えたあと、劇映画を目指す。
人を介してオフィス・シロウズを知り、しばらく出入りをしているうちに
『ナビィの恋』で劇映画の助監督デビュー。その後『ホテルハイビスカス』にも
参加していただいた。ゆえに社長とは旧知の仲。

佐々木 
聖太郎はさ、どういう監督にあこがれるの?

K 
川島雄三さん、今村昌平さん。特に『にっぽん昆虫記』までの今村さんが好きです。
うーん、よくできたものが好きですね。ヌーベル・バーグ以降というよりは。

佐々木  
家族の問題には、いつもひっかかってないか?

K 
そうですね。あとは日本というか、個人と集団ってことですかね。
ひっかかっているのは。集団に対する違和感がずっとあって…
ま、みんなあるんでしょうが。

佐々木 
そういうことが苦手だったの?

K 
幼稚園が中央なにわ幼稚園というところだったんですよ。
卒園式で園長さんが「中央なにわ幼稚園の、中央はかしこいということですから、
みなさん、誇りをもっていきましょう」と挨拶して、なんかおかしいな、と。
中央ってかしこいという意味? 違うし。集団に属していることで誇りを持つ、
という考え方に違和感をもったんですね。なんか嫌だ、と。
そういうところに誇りは持てない。人間として、個人として誇りを持ったとしても。
そういうことはやっていきたいですね。それが、たまたま家族だったり、
日本だったり。そこに対する違和感を表明していきたい。

佐々木 
じゃ、映画は向いてるね。映画は集団でやるけど、
それぞれが違う思いを持ってるから。

K 
そこが好きですね。自立しながら共闘している、というね。
“連帯”とも違う。しかも、それぞれがそれぞれの理屈でやっていながら、
うまくひとつになったときにはうまくいくし、だめなときはパーッと崩壊するし。
うまくいったときの不思議なさみしさと、盛り上がりと、熱気と、それが楽しいですね。

佐々木 
1回1回解散するしね。じゃ、さいならね、というのがいいじゃない。

K 
僕、実景撮りの日って好きなんですよ。地方ロケで天気がよかったりしてね。
芝居はアップした、かるい打ち上げもした、その次の日くらいに
最少人数で浜辺の実景なんか撮りに行く。
「いいですねえ、ま、もうひとつ撮っておきますか?」っていう、
あの時間がすごく好きなんです。
やりきって、ちょっとホッとして、いいもんができるんじゃないかという
期待感のなかでの、ね。
はじめて原一男さんの助監督として浦山桐郎さんのドキュメンタリーを
撮っているときに、長谷川和彦さんにインタビューしたんですけど、
浦山さんは、カメラ移動もない5秒の物撮りカットを「よーい、ハイッ」と、
本当に大きな声をかけて撮るんですって。なんでですか、と聞いたら、
こうあれかし、と思って監督が声をかけて撮れば、それは絶対に違うのだ、と。
その教えは今でも残ってる、とゴジさんが言うんです。
おっさん30人くらいが花瓶に群がってね。みんなでガーッとそこに向かってる。
確かにそうすることでなにかが違ってくるんじゃないか、と思うんです。
物理的に違うかどうかはわからないけど。そこにいる人の空気は確実に違うと思います。
『かぞくのひけつ』でのラストカットは、
賢治が「がんばりや」と言われたあとの押入れの扉だったんですが、
浦山監督のエピソードを思い出して撮りました。中に誰もいないんですけどね。

(2008年12月2日 オフィス・シロウズにて インタビュー:坂巻  文責:松田)

Filed under: スペシャル — admin @ 18:15:17

続いて、小林監督のインタビューの模様をお届けします。 

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映画のなりたち

S(シロウズ) 
このたびは第13回新藤兼人賞金賞受賞おめでとうござます。
いま、どのようなお気持ちですか?

K(小林監督) 
ありがたいなあ、というのと、映画を作っていたのも、もう2年前だし、
間違いなんじゃないかな、と(笑)。油断しちゃいけないなと思います。

S 
『かぞくのひけつ』では、いくつ賞をとられたんでしょう?

K 
監督協会新人賞と、今回の新藤賞と、
おおさかシネマフェスティバル(第2回)で桂雀々さん、
谷村美月ちゃんが新人賞、僕が新人監督賞をいただきました。

S 
どのへんが評価されたとお考えですか?

K 
もともと、賞とか映画祭に向けて作っていなかったので、
よくわからないんですけど…。珍しかったんですかね。
わりと「アート」から離れてるから。あんまり閉じたくないというか、
ふつうのおばちゃんが見てふつうに面白い作品にしたかったというのはあります。
だいぶいろんな下駄をはかせてもらってるな、と思いますけど。

blogyou.jpg

S 
そもそもの作品のなりたちは?

K 
大阪十三(じゅうそう)の映画館、第七藝術劇場が
再オープン―何回かつぶれているんですけど―するときに、
経営陣にシマフィルムの志摩敏樹さん
(『ニワトリはハダシだ』『風花』『ぼくんち』のプロデューサー)が
参加されたんです。
「自分が加わったんだからせっかくなら記念の映画を作ろう」
ということになり、
「オープン記念だから新人がいいんじゃないか、
大阪の映画館だから大阪人がいいんじゃないか」という話になったときに、
一番近くにいたのが僕だったんだと思います。
依頼を受けたのは06年の1月末でした。
で、夏にはイベントで公開したいっていうスケジュールでした。

S 
お話をもらったときにはどうでしたか?

K 
「ラッキー、やります!!」ってかんじではなかったですね。
商店街と映画館の映画ということだったんで、その枠で何ができるのか…。
どうしたらいいんだろう、と。どこかで「小手調べ」みたいなかんじで、
最初はなめてたんじゃないですかね。大きな予算でもないし、時間もない。
自分があたためてきたこれぞ、という企画でもないし、
真価を試されるという重さはない、みたいなかんじで。
もちろん、映画ってどんなもんでも小手調べなんかじゃできないということに、
早々に気がつきまして、「これは、やばい」と。
この枠の中で真剣にやるしかない、と腹をくくりましたね。

S 
大阪出身であることはプラスでしたか?

K 
今回に関してはそうですよね。時間がなかったから、キャストは
大阪および近畿出身の人でないと絶対に使わないというのを、まず決めて。
今まで助監督としては東京の人に方言指導の先生をつけて、
ということを何度かやってましたが、それにどれだけ労力とお金がかかるかも
知ってましたんで。そこに時間を割かない、という判断をしたところが
大阪人ゆえですかね。日本人が『SAYURI』を作ったら、
日本人役にチャン・ツィイーは使わないのと同じで、
やっぱり外人なんですよね。文化と言語が。
翻訳作業するとどうしても伝えきれないことがあるから。
そこをいちいち説明せずに進められるという強みはありました。

kazoku_sub3_yoko.jpg
(c)2006シマフィルム

まずは初恋物語

S 
脚本作りに関しては、商店街と映画館というモチーフ以外には
なにかリクエストはありましたか?

K 
殺人事件とか、少年犯罪とかではなく“心温まる話”みたいな
制約はありましたね。あとは何をやってもよかった。

S 
家族のお話になったのは?

K 
プロデューサーの中村さんと新宿の喫茶店で
「商店街っていうけど何屋のはなし?」って話しはじめて。
おっさん二人、高校の映画研究会みたいに何週間か迷走してました。
少年が女の子と知りあって、ちょっといい関係になるはずが、
その女の子にはバイト先に別の相手がいる、それを知って
少年の恋が破れて…みたいなプロットをまず書いたんです。
で、志摩さんにメールで送ったら
「まあ、ええんとちゃう?脚本にしたら?」
と言われたんだけど、
「いや、これ脚本にならないですよ。
なるかもしれないけど20分くらいでいい話ですよ、こんなの」
「えっ? だって、お前が書いたんちゃうの?」
「ええ、まあ書いたんですけど」
ってことで(笑)、やりなおすことになり。

S 
自分でつっこんじゃった、と(笑)。

ビン・ラディンとアフリカ魔術!?

K 
予算がないからって、ただ“小さい話”にしてしまっていいのか。
目線だけは高くしないと、ほんとにちっちゃな話になっちゃう、
と思い直して。それが2月くらい。
小さい話なりに「男と女が他者としてお互いを知る」みたいなことを
観念としては話してたんですね。はじめて若者が他者に傷つけられ、
一枚皮がむけたね、みたいな成長譚のつもりではいたんだけど、
どうしても個人の世界におさまっちゃう。
なんか大きくできないか、と悩んでいたら、ちょうど新潟に
アルカイダの一味が潜伏してたというニュースを思いだしまして。
じゃあ、ビン・ラディンが十三に潜んでた、というのはどうだ、と。
それでバスター・キートンの『セブン・チャンス』みたいな
追いかけあいになって…と、小ネタをいろいろ出し合ってたんです。
で、それをどうまとめるか、となったときに“骨”となるべきところが
みつからなかった。どこか建前論でしかなくて。
ニセモノなのかホンモノなのかわからないビン・ラディンをめぐって、
アラビアのロレンスみたいな人100人と、商店街のおばちゃんとが入り混じって…
というのは面白いけど、追いかける以上は捕まるんだよなあ、
そのとき何を言えばいんだろう? と。「殺してやる」なのか
「イスラム教徒がみんなテロリストってわけではないんだ」みたいなこと?
そんなかんじでプロットは書いたんです。また、面白がってはもらえたんだけど、
「いやいや、これ、プロットだからぎりぎりごまけてますけど、
脚本になったらきついですよ」と(笑)。
また、自分でやっときながら、自分で没にして。
それが3月下旬くらい。

S 
夏に公開なのに…。

K 
もう、そろそろキャスティングとロケハンしないと
間に合わない時期なんですよ。中村さんの知り合いで
荒井さんの門下生の女性、吉川(きっかわ)菜美さんが加わってくれて、
ファミレスで深夜集まっては、さらに考えて。
 ビン・ラディン話のときに、浮気者の父と、母がもめている、
それを見ている少年、という話が付け加わってはいたんですね。
何人かにプロットを読んでもらって、
「家族の話をやりたいのか、時事ネタをやりたいのかわからない」
と言われてた。僕たちとしては、そこに共通するものを感じていたんだけど、
つなげられる“骨”がみつけられていなかった。じゃ、どっちをとる?
というときに家族の話を残したんですが、結局、もともとの失恋話に
親世代の話がくっついただけで、あんまり大きくなってないなあ、と。
どうしようか、と苦し紛れにいろいろ話しているときに、
ナイジェリアの殺人事件のニュースがあった。女が殺されたんですが、
理由は「こいつは魔女で、俺のペニスを呪い奪った。取り戻すために殺したんだ」と。
西アフリカにはそういうウィッチ・ドクターがいて、
過去にもそういうペニスパニック(ペニスが消えてしまったと錯覚する症状)で
事件が起きてる。これは浮気話のオチになるかな、と。
ただ、大阪の話にアフリカ魔術がいきなりでてくるのもどうなのか、
というところから漢方にして。

S 
テントさんが演じる漢方医が主人公に売る漢方薬ですね。

K 
それも、「お、いいのがみつかった!」というよりは
「うーん、これ大丈夫かなあ」と、3人でのファミレス会議に
こわごわ持っていったんですけど。
「どう? どう? これ引く?」と(笑)。
許可もとってないような漢方医で、テントさんがやってくれたら
「ありかなあ」と。
悩ましい感じでしたが、時間もなかったんで「これでいこう」と。

kazoku2.JPG
(c)2006シマフィルム

S 
脚本の形になってから何稿まであったんですか?

K 
ビン・ラディン話が抜けて、テントさんの存在を入れて、
はじめて脚本にしたんですが、途中からは僕は大阪にロケハンに
行っちゃったんで、吉川さんとはメールのやりとりをして。
そういう細かい直しを別にしたら、3稿くらいですかねえ。
印刷したのはクランクインの3日前でした。

S 
いままでオリジナルで、大阪を舞台に書きためていたものは
あったのですか?

K 
いや、さぼってたんです。『かぞくのひけつ』の冒頭で出てくる
回想シーンのような話は書こうと思っていました。
寺町というお寺の並ぶ通り、別名「タニマチ」というところは、
お相撲さんがいまでも巡業のときには宿泊するんですけど、
裏がラブホテル街で面白いところなんですよ。
そんな寺町の寺の押入れの話のプロットを書きかけてたのが、
もう5,6年前。苦し紛れで「今回使っちゃうと、もう使えなくなる」
とは思ったけど『かぞくのひけつ』で放出してしまいましたね。

キャスティングの決め手は人(ニン)

S 
キャストのみなさんは、どのように決まったんですか?

K 
あて書きはテントさんくらいですね。
脚本書きながら若者二人と愛人役はオーディションしてました。
ほかはコピー台本でキャスティング。
実は、谷村美月さんはすぐ決まったんだけど、
主役の賢治くんはだいぶ決まらなかった。

S 
最終的な決め手は?

K 
久野くんはもちろん知ってたんですけど、
『ごめん』に似てるって言われるのがいやだったんで、
最初は避けちゃった。他の子で探してはいたんだけど、
なかなかみつからず。やっぱり久野をよんでみるか、と。
会って話してみたんだけど、
「最近、学校でなんか面白いことないの?」と聞いても
「いや、べつに」って。「おまえは○○かっ!」(笑)。
大丈夫か?と思って『ごめん』のときのチーフ助監督に
様子を聞いたら「人見知りなだけだから」とは言われたんですけど。
そんなわけで、最終候補は、久野君と、某大手事務所の新人イケメンくん、
結果、村田役に残った小堀(正博)くんでした。
3人をよんだものの、僕はどうしたらいいかよくわからなかったんですが、
プロデューサーの中村さんが突然、「腕立てしろ」と。
1時間くらい体力トレーニングさせたんですね。
「要は決め手がないんだよ!」みたいな言葉攻めもして。
そしたら久野君が悔しそうな顔してたんですよ。
それを見てて「ああ、いいかもな」と。芝居もやってもらったけど、
以前に会ったときとは格段に違ったので「一緒に作っていけるかな」と思いました。
小堀くんは頭の回転もいいし、面白いなと思ってたんですが、
なんというか人(ニン)が違う。ニンというのはたぶん大阪の言葉ですね。
いや歌舞伎かな? なんというか…本質? 役らしさというか…やはり、
久野くんの人(ニン)が決め手でしたね。
『ごめん』は忘れよう、似ていると言いたきゃ、言え!って開き直った。
……実際言われるんですけど。

<後半に続く>

Filed under: スペシャル — admin @ 18:04:17

今回ご登場いただくのは、
2008年度新藤兼人賞金賞を受賞した
『かぞくのひけつ』の小林聖太郎監督。

今年で13回目を迎える『新藤兼人賞』は、
現役プロデューサーのみが選考し、
「今後この監督と組んで仕事をしてみたい」
という観点から、選ばれる新人監督賞です。

2008年12月5日に行われた授賞式のレポートと
シロウズ独占インタビューをお届けします!!

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多くの映画関係者が見守る中で、少し緊張気味の小林聖太郎監督。
日本映画界最年長の新藤兼人監督より小林聖太郎監督に
トロフィーと賞金が授与されました。

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(右から小林監督、新藤監督、銀賞『ひゃくはち」森義隆監督)

新藤監督からは「夫が浮気する家族のありふれた話だけれど、
大阪弁がとてもよく、それを補っていた。大いに笑いました。
できれば、浮気とは何ぞや、浮気される女とは何ぞやということを
もっと突き詰めていただきたい。でも、とても楽しませてもらいました」
との祝辞が送られました。

続いて、お祝いに駆けつけた女優の秋野暢子さんから
花束を受け取ってスピーチに立った小林監督は
「13回目ということで、非常に縁起のいい数字です(笑)。
というのも、今回の映画で舞台となったのは
大阪の十三(じゅうそう)という街だからです。
最近ではロッカーの番号などもあえて13番を探してしまいます。
2年半前に撮った作品なので、現実味がわかないのですが、
プロデューサーがこの監督と組みたいと思って
選んでいただけたようなので、本当ですよね?と
協会加盟各社を一軒一軒まわりたいと思います(笑)」と喜びの表情。
2.JPG

会場で配られた審査員講評には
「笑いにまぶしながら実は家族の奥深い問題を、
さりげなく提示してみせた」

「観ながら久しぶりに口元が緩みました。
おもしろい人達がたくさん出てくる映画を近々彼とは作ってみたい」

「映画全盛期に作られ人々を笑いに包み込んだ
人情喜劇の名作を彷彿とさせ、輝かしい映画の未来を
予感させる一本でした。配役も素晴らしかった」

など、賛辞が記されていました。

今後、ますますの活躍が期待されます!
続いて、小林聖太郎監督のインタビューをお届けします。

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小林聖太郎(こばやし・しょうたろう)
71年3月3日、大阪生まれ。
94年関西大学法学部政治学科卒業後、
ジャーナリスト今井 一の助手を務め
「阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか」
「大震災100人の瞬間」
「大事なことは国民投票で決めよう」などの取材、執筆に協力する。
95年、原 一 男監督が開いた「CINEMA塾」に第一期生として参加。
96~98年にかけて同監督のTVドキュメンタリー
「映画監督 浦山桐郎の肖像」の助監督を務める。
その後、劇映画の演出部として「ナビィの恋」(98)
「ホテルハイビスカス」(02)(中江裕司監督)、「閉じる日」(00)
「えんがわの犬」(00)(行定 勲監督)、
「ぷりてぃウーマン」(02)(渡邊孝好監督)、
「ゲロッパ!」(02)「パッチギ!」(04)(井筒和幸監督)、
「ニワトリはハダシだ」(03)(森 東監督)、
「69 sixtynine」(03)(李 相日監督)、
「リンダリンダリンダ」(04)(山下敦弘監督)、
「雪に願うこと」(05)(根岸吉太郎監督)など
多くの映画製作に関わる(カッコ内は撮影年度)。
その他、フェイクドキュメント
「美波21歳、神戸着~女優の嘘、ホントの私~」(08 /KTV)
などTV番組も手掛ける。

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「かぞくのひけつ デラックス版」
発売:ジェネオン エンタテインメント (規格番号:GNBD-1511)
特 典●「かぞくのひけつ」撮影日記 
●小林聖太郞監督×武正晴監督(「ボーイ・ミーツ・プサン」)によるオーディオ・     
コメンタリー●初日舞台挨拶 ●未公開シーン ●劇場予告編
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