Filed under: スペシャル — admin @ 15:00:29

◇新作『音の城♪音の海』について

S
新作は今月公開の『音の城♪音の海』ですね。
「音遊びの会」を取材対象に選んだ理由は?

H
この「音遊びの会」は神戸大学に集まって、療法を目的とするというより、
知的障害者と療法士や即興演奏家が新しい音楽を作ろうという試みで始まった会なんです。
まずそのコンセプトに興味がありましたね。
自分の中で自然に関心が生まれて取材の申し込みをしました。
ちょうど会を立ち上げる時だったので、比較的すんなり受け入れられてOKが出ました。

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(C)アップビートビジョン

S
最初の取材の印象は?

H
ちょうど「音遊びの会」の活動が始まる日だったので、
自己紹介があってワークショップが始まって・・・。
そこで、音楽家と子供たちがワークショップをやるのを見てこれはおもしろいな、と。

S
一番最初に「撮りたい」と惹きつけられた瞬間は?

H
やっぱり子供たちですね。色々な個性がある人たちなので一緒にいて楽しいです。

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S
取材を続けていく中で、作品のゴールはすんなり見えていたのですか?

H
いや、正直本当にどうなるのかな、どうしようかなというか・・・。
ワークショップは継続していくんですけど、しばらくは全く進歩を感じられない状況で、
これで最終的にお客さんを入れた公演なんてできるんだろうかと思いました。
毎回神戸まで交通費をかけて通っていたんですけど、
撮影をお願いしていた人に「服部君を取材した方が面白いよ」と言われたりして。(笑)

S
(笑)。どのくらい通ったんですか?

H
月にだいたい2回くらい隔週で通って・・・
2005年に撮影を始めて結局半年間くらい続けましたね。

S
そんな中、半年やっても演奏には進歩がないと・・・。

H
はい。ずっと撮影をしてても変化が見えなかった。
でも、それは自分が気付かなかっただけで、
いろんな微妙な部分で変化していることはあると思いました。
ただ、それを記録映画として表現するのもまた難しいというか、
撮り方が分からなかったですね、その時は。

S
被写体としては面白くても変化がないと映画としてはつらいですよね?

H
「このままでは映画にはできないかな」とは思いましたね。

S
メンバーの誰かひとりに焦点を当てて取材する、ということは考えましたか?

H
はい、それはやっぱり迷いましたね。ひとりに焦点を当てて追いかけて、
インタビューを撮っていったら作品としてはできると思うんですけど。
でも、それは今回の企画の時点でやりたかったことではなかったですし、
最終的に自分のやりたいこととは違うと思いました。

S
子供たちに対する接し方も試行錯誤したようですね。

H
実は最初、子供たちとの距離を縮めようと思ってインタビューをしたんですが
コミュニケーションがとれなかったので・・・。
その後も色々と引き出すために何度かインタビューを試みたんですけど、
最終的には使えなかったんです。浮いちゃう部分もあったんですよね。

S
実際、子供たちとの関係性はどのように変わっていったんですか?

H
ずっとそばにいることで信頼関係が生まれてくるので、
近くでカメラを回していてもあまり気にしないようになったり、
カメラを回していない時は一緒に遊んだり、そういう関係の変化はありました。
ただ、東京から通っているのでそこまで親しい関係にはなれませんでした。
たまに行くお兄さんくらいの感じだったので、
ほどよい距離をたもちつつ仲は悪くない感じでした。

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(C)アップビートビジョン

S
メンバー同士の対話は? 議論していたシーンもありましたけど・・・

H
初期の頃は、ミュージシャンや会の方や保護者の方との活発な対話がありました。
メールや電話で議論することもありました。そういうのも編集に入れたら面白いかなと思って、
一度メールを全部打ち出してインサートする編集もしてみたんですけど、最終的にはそういう
こちらの編集意図があまり出ないほうが作品としては合っているかなと思ってカットしました。

S
大友(良英)さんが途中からリーダー的な音楽のお兄さんで仕切っているのを見て、
まさに適役というか。

H
仕切りつつも、仕切られてしまうといったところですね。
映画としては、大友さんがいなかったら全く別のアプローチになったかもしれないですね。

S
一番最初に大友さんがちょっと引いて全体を捉えているところから、
自分の立ち位置を決めて、仕切って、それにちゃんと子供たちが応えて・・・
大友さんのドキュメンタリーとして、とてもいいと思いました。(笑)
つい、大友さんを見ちゃうんですよ。(笑)

H
なるほど。

◇「音の海」公演時の感動

S
自分の感覚として、これが映画として「いける!」と思ったのは?

H
それは最後の「音の海」の公演の時でしたね。
生で感じていてやはり驚きでしたね。

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(C)アップビートビジョン

S
立派なホールでお客さんもたくさんいて、子供たちがステージで即興演奏するという・・・
すばらしい公演の様子が撮れていますよね。まさにセッションが生まれている。

H
これまでのワークショップの経過からみて、
自分の中にあった「ある程度、こういうふうになるのでは?」という予想を超えていたので、
撮りながら興奮していましたね。

S
確かに、感動的でしたね。
ぜひ大きなスクリーンでエネルギーを感じてもらいたいですよね。

H
はい。この公演の時の音は劇場の音響でよく聴こえるような編集をしているので、
ぜひ映画館で観て聴いてほしいですね。

◇苦労を重ねた編集作業

S
ところで、編集作業はどうでしたか?

H
編集も非常に苦労しました。
やっているうちにまったくわからなくなってしまって。

S
それはどの辺が?

H
「音の城」と「音の海」という2つの公演を時系列で並べて見せる記録性を優先させるか、
「音の海」をクライマックスに持ってきて、そこにいきつくまでの話を緩やかに想像させるような
ストーリー作りにするか・・・という判断が難しかったですね。
自分の中で客観性がなくなっていって、(シロウズメンバーの)押田さんや斉藤さんに
無理言って見てもらって・・・。

―(服部監督とは映画美学校の同期でもある斉藤が登場)―

S
その時に見た作品はどんな印象だった?

斉藤
最初、「これを私は1時間半見るんですか?何が何だか分からない」っていう。(笑)
行われていることはわかるけど、全部それを撮ったままぶつけている感じで。
すごいインパクトは強かったんですよ。
でも、見ている方が考えて考えて見ないといけない映画だったんで。
完成版はそれから少し説明を加えて、こっちに子供の変化や大きな流れのイメージを
与えてくれるようになっていて。

H
お二人には明確なアドバイスをもらって。感謝してます。(笑)

S
(笑)。

◇新たな試みの上映会&ミニライブも実施

S
いよいよ5月29(土)渋谷アップリンクで公開ですね。
“上映中おしゃべりOKの「にぎやか鑑賞会」開催予定!”ということですが。

H
これは、上映中に声を出す子供たちとも一緒に映画を見たいなと思って発案しました。
あとはお子様連れだとなかなか劇場に来られないこともあるので、
親子でも来やすいように。劇場さんも好意的でした。

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(C)アップビートビジョン

S
日にちは決まっていますか?

H
上映期間中、平日に一日一回やろうと思います。
色んな人と一緒に観て、観賞中の雰囲気も含めて楽しんでもらって、
ワイワイできればいいな、と。

S
特に観てほしい方は?

H
小さい子供のお父さんお母さん、知的な障害を持っている方や家族の方、
それから、即興演奏に興味がある方や映画と音楽が好きな人には観てもらいたいです。
面白い映画になっていますので。

S
「音遊びの会」の音楽については?

H
即興演奏なので、ぜひ彼らの公演もライブで聴いてみてほしいなと思います。
映画公開中はアップリンクの劇場内でのミニライブも予定していますし、
神戸と連動して「音遊びの会」のライブが決定しています。

S
それは楽しみなイベントですね。

◇服部作品について

S
さて、『City Lights』と『音の城♪音の海』の2作品に共通することですけど、
ナレーションは入れたくないんですか?

H
ナレーションを入れてしまうと作り手の顔がでてしまうので、そうはしたくなくて。
もちろん編集しているので虚構なんですが、客観性を出しておいて、
そういう客観性みたいなところを前提として見ていただきたいなと。
ナレーションを入れるとすると全部の編集が変わってくると思うんですよね。

S
ええ。
自分の声も極力入れないようにしてますね。

H
そうですね。それもあんまりしたくなかったですね。
もちろん編集のやり方でこちらが提示して演出している部分もあるんですけど。

S
フレデリック・ワイズマンがやりたいのかな、と思ったんですけど。

H
ああ、ワイズマンはやっぱり意識してますね。
ただ、全然ああいう時間の流れというのは出せていないですけど。

S
あれはなかなかできない。でも、対象との距離感は、ちょっと意識しているのかな、と。
そんな気がしました。(笑)

H
そうですね。ああいう、特定の人物にフォーカスを合わせるのではなくて、
団体だったり、街だったり「テーマ」を撮ることに自分も興味があります。
群像劇ではないですけど、団体の中にもそれぞれの世界観があって、
それが対話してぶつかったり、いろいろな価値観が同じ画面の中であるというのが面白いなと。
『City Light』の時もそうでしたけど、個人に焦点を当てずに
複数の人が色々な意見を言い合うところを撮りたいと思っていて、
それをある程度予測して取材の申し込みをしました。

S
そういうことに興味があるのはどうして?

H
自分のなかでいろいろな価値観を知りたいし、自分にない感覚を知りたいので。
目が見えない人の世界や音に対する感覚は自分にないものですし、
音遊びの会のメンバーの世界観はそれぞれまったく違うんだろうと。
想像しかできないですけど、そういうものはどういうことかという好奇心もあります。
S
なるほど。

H
世界観や生き方を深く探るためには色々な価値観にぶつかった方が、
自分も変わると思います。だから、そういうことに興味がありますね。

S
ところで、監督は身長が高いですけど、それってドキュメンタリーを撮る上でどうですか?

H
マイナスです。(笑)
まずカメラの目線が高くなっちゃうし、撮られる側もたぶん大きいと
意識しちゃう部分もあると思うんですよね。
そういう意味では隠れている方がいいのかなと思います。別の人に撮ってもらって。(笑)

S
今後の活動は?

H
ちょうど今、ある商店街の企画で映画を作ろうというプロジェクトがありまして。
ドキュメンタリーを交えたフィクションにしようと思っているんですけど、
その商店街の活性化のための映画を作ろうと思います。

S
面白そうですね。
楽しみにしています。

服部智行監督 ~最新情報~
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『音の城♪音の海』
2010年5月29日(土)より渋谷アップリンクXにて公開

知的障害者の人々と音楽療法家、ミュージシャンたちによって奏でられる
即興音楽誕生の物語を追った感動のドキュメンタリー。
それぞれ背景の異なる面々が演奏会での発表を目標に、
日々失敗を繰り返しながら自分たちの音楽を見いだしていくまでを見届ける。
監督は新鋭のドキュメンタリー作家の服部智行。
障害を持つ子どもたちの個性的でのびやかな演奏の様子や、
彼らと共に独自の音楽を手探りしていく音楽家たちの魂の共鳴が美しく響く。

配給:音の城♪音の海上映委員会 /エイブルアート・ジャパン

オフィシャルサイト
http://otonoshiro.com/

Filed under: スペシャル — admin @ 18:24:40

今回は、新鋭のドキュメンタリー映画作家・服部智行監督をお迎えして、
前作の『City Lights』と5月29日(土)に公開される最新作『音の城♪音の海』について、お話しを伺いました。

『City Lights』
視覚障害者が映画を鑑賞する際に大きな役割を果たす“音声ガイド”(場面・人物の動き・情景・字幕など、目から入る情報を言葉で説明すること)。その制作を行う「バリアフリー映画鑑賞推進団体 シティライツ」に集う人々を追った作品。
シロウズ最新作『真夏の夜の夢』の音声ガイド制作もシティライツさんにお世話になりました。
 

『音の城♪音の海』
知的障害者と音楽療法家、音楽家たちが集い“新しい音楽”を作るプロジェクト「音遊びの会」の活動を追った作品です。「音の海」にはシロウズ作品ともかかわりの深い音楽家・大友良英さんも参加されています。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

◇『City Lights』について

S 
前作の『City Lights』はいつ頃撮ったものですか?

H 
映画美学校の一年目の時に作ったもので、2003年ですね。
フィクションコースに通っていたんですが自分はドキュメンタリーに向いているかな、
と思えてきて。

S 
それはどうして?

H
映像で考えるよりも本を読んでロジックで組み立てて考えちゃうこともあって。

S 
なるほど。それ以前にも映画を撮っていたんですか?

H
大学映画サークルで若干手伝ったりしたんですけど、映画美学校に入るまでは本格的にはやってなくて・・・。

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S 
取材対象にバリアフリー映画鑑賞推進団体シティライツを選んだのはどういう理由から?

H
まず、この作品では映像の本質的な部分というか「映像ってなんなんだ?」
ということを探ってみたいなと思ったんです。
その時に「視覚障害者」と「映画」というキーワードが浮かんで、
「シティライツ」という団体にたどり着きました。

S
最初に取材を申し込んだ時の対応はどうでしたか?

H
シティライツの方々は心が広くて、撮られることを気にしない方ばかりだったので、
すんなりOKでした。ちょうど立ち上げて間もない時だったので、
色々な人の葛藤や想いがストレートに表れていましたね。

◇取材を通して知ったこと

S 
この作品の狙いとしては、どのように考えていましたか?

H
全く見えない人の“視点”からスタートすることで
「映像というのは何なのか」を浮き彫りにできるんじゃないかと思いました。

S 
「音声ガイド」の制作過程を見せることでそれが明らかになると?

H
「音声ガイド」で行われている作業は、見える人と見えない人が協力し合い、
映像を翻訳して文字に置き換えて、そのうえで映像を解釈していく・・・
ということの繰り返しなんです。
見えない人には先天盲の人も中途失明の人もいて、なおかつ、
人それぞれで違うイメージを頭に浮かべているんですね。

S 
確かに、我々にしても頭の中にイメージする映像は個々で違いますよね。

H
普通に目が見えている人も自分が意識を向けている部分しか見ていなかったり、
自分のイメージしているものが映像に投影されていたりする。
単純に“客観的な映像”があるのではなくて、かなりの部分で主観的な介在があるんだな
というのが視覚障害者が映画を観賞するという行為を通して見えてきた部分でしたね。

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S
取材前に思い描いていたものと、いざ取材してみて違ったことはありましたか?

H
ある程度、取材前に自分の中で価値観があって、
予定調和的に取材対象者から引き出していたことはありましたね。
ただ、内実というか細かい感情的なことや気持ちは全然想像できていなかったと思います。

S
視覚障害者の感情や気持ちですか?

H
はい。視覚障害者の想いとしては、他人に“障害があるから助けてあげなきゃ”
と思われることは求めていないというか・・・。
映画館もそうですがバリアフリーの整備が進んで、
本当は障害そのものを意識しなくなるような環境ができるのがいいのかなと思いますね。

S
この作品が完成して“自分はドキュメンタリーがいい”という実感は?

H
自主制作映画だし、自分で「撮りたい映画」、「見たい映画」を作ろうと思ってました。
それで、ある程度納得した部分とダメだなと思った部分があって。
その「ダメだな」の部分をドキュメンタリーでまたやりたいなということで、今に至りますね。

S
具体的に「ダメだな」と思うこととは?

H
撮影の技術的な部分が大きいですね。
『City Lights』では、盲目の方が登場しているので、
もう少しイメージ豊かで想像力を働かせるような映像を交えていきたかったんですけど。
初めて撮った映画なので、そんな余裕がなかった感じですね。

S
ええ。

H
その当時は編集も「これでいいな」という感じでやっていたんですけど、
今見ると構成上で問題点があったりして。
でも、それは作品を作り続けているからこそ、見えてきていることでもありますね。
時間を置いて見ると客観的になれますしね。

◇映画館で一般上映

S
劇場公開もされたんですよね?

H
ちょうど映画美学校の映画祭に出品したんです。
そしたら、たまたま当時、佐藤真さんが見てくださって、
映画館で上映しようとなり、ユーロスペースで公開されました。

S
取材対象の視覚障害者の方々は作品を音声ガイドで見たんでしょうか?

H
はい、見ていただきました。音声ガイドは自分で作って、
声優はシティライツの方にやっていただいて、劇場でやる時にそれを流して…。

S
おおー。シロウズの最新作の『真夏の夜の夢』でも音声ガイドを作って、
シティライツさんに協力していただきましたが、本当に大変な作業だと思いました。
でも、今や映画業界でも音声ガイドを作るのは当たり前になりつつありますよね。

H
段々とそうなっていますね。

(後半へ続く・・・)

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プロフィール:服部智行(はっとりともゆき)
1977年北海道生まれ。大学卒業後、映画美学校にてインディペンデント映画製作について学ぶ。2003年、視覚障害者が映画鑑賞するための音声ガイド作りの過程をめぐるドキュメンタリー映画『City Lights』を監督、渋谷ユーロスペースにて上映される。2005年、岩井俊二プロデュースのラジオドラマ『少女毛虫』(主演:南果歩、夏帆)の脚本を執筆。2010年、『音の城♪音の海 ―SOUND to MUSIC―』を監督、渋谷アップリンクXにて上映、ほか全国順次ロードショー予定。

Filed under: スペシャル — admin @ 11:00:01

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◇『ラッシュライフ』の公開を経て…

S
『ラッシュライフ』が公開されて注目されましたが、
あれは製作領域がお金集めからやるんですか?

N
そうですね。あれは企画自体が製作領域主導で、
まず製作の学生がそれぞれ映画化したい原作をプレゼンして、
その中から学生みんなが投票して先生も意見して1つ選ばれるんですね。
それが決まった段階でお金集めから原作者への交渉とか著作権のクリア、
キャスティングや劇場配給まで製作領域の学生が請け負います。
基本的な実務作業は全部学生がやってますね。

S
製作費ってどのくらい集めたんですか?

N
『ラッシュライフ』の時は藝大+4社で1,200万くらいでしたね。
宣伝費も入れると約1,500万です。

S
役者さんも豪華ですし、バルト9でも公開されましたよね?

N
シネコンで普通にかかったっていうのは一歩踏み出した感じはありますね。
今まではレイトショー公開などだったので。

S
そこまでできたのはなぜなんでしょうか?

N
ひとつは、プロデューサーの能力だと思います。
某大手広告代理店を休職してこの大学の製作領域に入った人が企画したので。

S
その辺のプロデューサーよりよっぽど顔が利く人がいたんですね(笑)。

N
だからちょっと特殊なケースだと思うんですけど、
ここまできちんとした形でできたのは彼にとっても藝大にとってもひとつの実績になりますし、
後輩たちを含めた学生みんなにとっても良かったのだと思います。

S
藝大の中では一つの理想のケースとして今後は皆がこれを目指していくんでしょうか?

N
いえ、学生にもそれぞれの志向がありますから。
例えばアート志向の人にとってはここまで商業的になってこれが本当によかったのか?
という思いはあるようですし、学生の中でもいろいろ意見が出ているんです(笑)。

S
なるほど(笑)。

N
やっぱり監督の人は自分のやりたい事や表現に対しての思い入れが強い人が多いので、
アート志向というか作家主義的な面があると思うんですよね。
それが実際、彼らがデビューした時にどこまでできるのかというのはありますけどね。

S
そうですね。

N
だからプロデューサーの在り方も大事で、製作領域の堀越教授としても
「プロデューサーとしてのビジネス的側面の能力はもちろんありつつも、
作家のクリエイティビティをちゃんと理解してきちんと守って、
しかも国際的なマーケットの中で作らせてあげられるプロデューサーを育てていきたい」
との思いはあるのではないでしょうか。
そのために、毎年KAFA(韓国映画アカデミー)と合同で合宿形式の
ワークショップなども行っています。

 「国立大学の映画学科」であるということ

S
映画の学校はいろいろありますが、藝大の特色というのはどのようにお考えですか?

N
歴史的には他の学校には及びませんが、やはり「国立大学の映画専攻」は
日本国内ではうちしかないので、それが特色なのかと。
韓国でもフランスでも国立の映画学校が古くからあるわけですよね。
国の中、その文化の中での映画の位置づけというものは、
その国に国立の映画学校があるかないか、ということにもあらわれますよね。

S
確かに・・・。

N
授業の中身や教育内容とはちょっと離れて、
まず「国立の大学で映画づくりを教えている」ということが、
国内における映画の文化的な位置づけに影響すると思います。
それから日本の場合は映画教育のメソッドがあまり確立されてなくて、
かつてはスタジオが教育の部分を受け継いでいた伝統があったと思うんですけど、
それが崩壊した今、学校がスタジオでの人材育成とは違った形でできることを
確立していきたいですね。

S
他国の国立の映画学校との関わりは?

N
一番関係が深いのが、今のところKAFAですね。
2007年に短編を共同制作し、日韓で上映しました。
日本では、国際フォーラムでの上映です。映画祭にもいくつか出品され、
SKIPシティの国際Dシネマ映画祭で奨励賞/川口市民賞を受賞しました。
こちらからは2期生がメインのスタッフとして参加したのですが、
日本のスタッフ・メインキャストが韓国に行って撮影をして、
韓国側のスタッフ・メインキャストが横浜に来て撮影して、一緒に2本作りました。

S
特に問題もなく?

N
まずはお互い母国語じゃない英語でコミュニケートするのが難しくて、
その中で映画の作り方も考え方もちょっとずつ違ったりして、
いかに意思疎通してすり合わせていくかという大変な作業だったと思うんですが、
一つのものを一緒に作ると絆が深まるみたいで、この後もずっと連絡を取り合っていて
仲良くやっているようです。

S
では、KAFAとはその後も続けて?

N
そうですね。
その後、製作領域なんですが、先ほどちょっと触れたワークショップを
毎年夏に合同でやっています。1年毎に韓国と日本と交互に行き来して、
そこで企画のコンペをやって優秀なものがあったら映画化を考えるという。
今、一つ長編の製作に入っていて3月に撮影予定なんですが、
両方の国で劇場公開をしたいと考えています。

S
なぜ韓国の学校と一緒にこのような活動をしようと?

N
一つには、感性や文化も含めて色々なことで近いので、
特に最初にやるにはお互い一番いい相手かと。
あと、根本的な問題として、国際的な市場を考えた時に、
絶対今後は共同制作ということを視野に入れていかなければいけないので、
アジアの映画の中で日本と韓国は一緒にやっていくべきだろうと考えています。

S
なるほど。

N
今後はフランスの国立映画学校であるフェミス(FEMIS)やルイ・リュミエールとも
協働していこうと話を進めています。
こうした形でネットワークを広げていきたいですね。

S
国際的なネットワークが培われますね。

N
学生にとって貴重な経験になりますし、人脈を作るということ以外に
「国際理解」という意味でも大切なことだろうと思います。

S
そのような活動ができるのも藝大が「国立の大学」という信頼度があるからこそですね?

N
そうですね。
例えばKAFAはKOFICという韓国政府の中の映画を扱う部門の直属組織ですし、
立場的には国立同士だからお互いやりやすいというのはあるのかもしれません。

S
今後はどのような新しい取り組みをお考えでしょうか。

N
毎年領域を変えて技術系のワークショップと国際シンポジウムを
どなたか海外から講師を招いてやっていきたいと考えています。
あとはワークショップなり共同制作なりを通して、
国際的なネットワークを徐々に広げていけたらというのもありますね。

S
日本だけに留まっていない感じがしますね。
今後の活動が楽しみです。

(2010年1月 藝大大学院馬車道校舎にて
インタビュー:坂巻、松田 文責:坂巻)

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卒業生の声 : 加藤直輝監督(映画専攻1期生)

変な2年間でした。
なにしろ映画のことしか考えない。
一年中ずーっとえーが、えーが、えーが。
見て、考えて、書いて、撮って、みんなで見て、
あーだこーだ言われて、また撮って・・・
毎日です。ちょっと頭おかしくなりますね。
きっと、ちょっとおかしかったと思います。

座学もありますが、実践あるのみ。
スパルタです。基本、放置されます。
2年で計4回の撮影実習がありました。
監督が6人いたので、実習毎に6組の現場が組まれます。
短編、長編、16mmやデジタルなど様々な現場でした。
私たちは第一期生、勝手がわからず闇雲でした。
2年間で30本近くの作品ができました。

 映画って人柄が剥き出しになりますね。
特に現場は丸裸になります。
学生は経験も余裕もありません。
ぐちゃぐちゃでした。
なんだろう、
怒ったり、泣いたり、びびったり、笑ったり、放心したり、
川に流されたり、寝ながら運転したり・・・よく壊れる人が出ましたが、
死人は出ませんでした。
ごく稀に喜びが訪れます。

つらい経験を共有すると自然に恋が発生したり、欲情したりします。
そんな風紀の乱れを取り締まる秘密警察が結成されたりもしました。
卒業式、事務方の人が祝辞で「動物園だった」と言ってました。
この2年間をドキュメンタリーで追っていたら、
見事な人間模様が撮れたのではないかと思われます。

そんな同級生たちはそれぞれの関わり方で映画を続けているみたいです。
私も、『アブラクサスの祭』という作品を作っている最中です。

シロウズ新作『アブラクサスの祭』公式HP!ウツの坊主がライヴ!?http://www.aburakusasu.com/

Filed under: スペシャル — admin @ 15:36:27

現在、日本では映画の現場にいるスタッフの多くが
映画人を育成する学校機関と関わりがある。
自らが卒業生だということもあれば、学生を教える立場でいることもある。
いずれにせよ「映画の現場」と「映画の学校」は切っても切れない関係・・・。

シロウズスペシャルではそんな「映画の学校」にフォーカスして、
各学校がどのような映画人の育成を目指しているのかシリーズでお届けします。
 

◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇

第1弾は東京藝術大学大学院映像研究科:映画専攻。
今年でようやく6期生が入学となるにもかかわらず、
すでに卒業生の活躍が目覚ましい日本国内初の国立大学の映画専攻です。
今年公開となる『アブラクサスの祭』(シロウズ製作)で商業映画デビューとなる加藤直輝監督の母校でもあります。

今回は映画教育運営室の名越さんに藝大大学院馬車道校舎でお話をうかがいました。
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映画専攻の校舎は横浜馬車道にある昭和初期に建てられた銀行だった建物を利用しています。傑作を生み出すに相応しい、非常に風格と趣のある建物です。

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1階のオープンスペースは吹き抜けで心地よい空間になっています。

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銀行の名残である金庫はそのまま機材室として使用・・・扉が厚い!
レオス・カラックス監督の『TOKYO!』でのロケに使用され、「開校当初から扉は常に開けられていたのですが、レオスが撮影時にこの扉を閉めたいと言い出したので、スタッフは大慌てでした(笑)」(名越さん)

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立派な試写室が大・小完備されています。

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シロウズ(以下S) 
まず、映像研究科の専攻形態を教えてください。

名越(以下N)
修士課程は、映画とメディア映像とアニメーションの3専攻になります。
最初、大学院映像研究科が2005年にできた時はまだ映画専攻だけでしたが、
その後1年遅れてメディア映像専攻が始まって、
アニメーション専攻が2008年に設置されて今年の4月で3年目ですね。

S
今後も専攻が増えていくことはありますか?

N
芸大としては「映像はこの3つを柱にやっていく」という計画で研究科を開設し、
ようやくその3専攻が揃ったというところです。これ以上増やす予定はありません。

S
博士課程もあるんですね?

N
3専攻共通の形で、映像メディア学専攻という博士課程がひとつあります。

S
学生の数は?

N
約150名ですね。映像研究科全体で。

S
そんなにいるんですか。

N
けっこういるんです。(笑)
ただ、ここの校舎(馬車道校舎)は基本的に映画専攻の学生が使用しています。
その他に港の方にメディア映像の建物があって、そちらに大きなスタジオもあります。
 
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(こちらがそのスタジオ↑ ここでもレオス・カラックスが撮影したそう)

それとはまた別にアニメーション専攻がワンフロア借りているビルがあって。
あと博士課程が別にまたワンフロア借りていて。全部建物が別なんです。

S
ちなみに入学式はどこで?

N
入学・卒業は全部東京藝術大学の上野校地なんです(笑)。
学生は面倒だと思うんですけど。

S
確かに(笑)。入試はここで?

N
入試はここでやります。
機材などを使用することもあるので、ここでないとできません。

S
映画専攻の入試の内容というのは?

N
1次試験は全領域(コース)とも作品やポートフォリオの提出ですね。
2次試験は領域によってそれぞれ違うんですけど、
課題提出の他に筆記試験や実技や面接などがあります。
監督領域や脚本領域は3次試験までありますね。

S
作品提出となると、それまでに映画や映像作品を撮ったことのない人は難しいですね?

N
そうですね、提出課題の中にだいたい作品が含まれているので。
ただ、領域によっては、企画書や構想のポートフォリオ等で作品に代えられますし、
脚本領域の場合などは、逆に未発表作品の提出に限られています。

S
年齢的には20代前半ばかりですか?

N
30代や、中には40代の学生もいますよ。特に年齢の上限があるわけではないので。
それこそ開校当初はこの学校が出来るまで待っていたような人たちが入学して
年齢がけっこう高めだったんですけど、最近はその層が減って
必然的に若くなって大学出たての人も多いですね。

S
倍率は?

N
2009年度は、3専攻合わせた映像研究科全体では3.1倍で、
映画専攻だけに関して言うと3.4倍でした。
その中でも領域によってけっこうバラバラで、監督と脚本がやっぱり多いですね。
技術系(撮影照明/美術/録音/編集)はこの2領域に比べると少ないですね。

S
なるほど。

N
ただ『ラッシュライフ』(在学生が企画・製作)が公開されて藝大がメディアに出たり、
卒業生が監督デビューしたこともあってか、今年、応募人数が増えた領域もあります。

S
海外からの留学生も?

N
受け入れはもちろんOKですが、日本語がある程度堪能であるのが絶対条件ですね。
授業は海外ゲストのレクチャー等を除き全て日本語ですし、制作実習の中でも
学生同士で議論したりするのに、日本語のコミュニケート能力は必須になりますから。
今のところ映画専攻は韓国からの留学生が2人ですね。
短期の交換留学といった制度はないので、2人とも2年間の修士課程を
ここで修める予定です。

◇国際的に通用する人材育成

S
入学時点でのスキルレベルが高いと思うのですが、
人材を育成する姿勢としてはどのような方針なのでしょうか?

N
大学側としては、ある程度基本的なスキルがある人が国際的に通用するくらいの
クリエイティビティと専門知識と技術力を身につけるためにこの場を活用して欲しいと思っています。

S
なるほど。

N
あとはここで培われた人との繋がりがこの先仕事をしていく上で大きくなっていくので、
講師の方々とともにそのあたりも含めて学生を育てていければという感じですね。

S
そういう意味では恵まれている講師陣ですよね?

N
そうですね。現役で現場に出ている方からお話を聞き、手取り足取り指導してもらって、
場合によっては現場にも参加できるというのは、この学校の強みですね。

S
確かに魅力の一つですよね。

N
その他に、特別講義では毎年違う顔ぶれで外部から
現場の最前線で活躍している方をお招きして、講義をしていただいています。
海外からのゲストも、だいたい東京フィルメックスの時期が多いのですが、
ちょうど来日されている方に来てもらうことが多いですね。

S
卒業生の進路は?

N
技術系は専門の会社に就職するかフリーで現場に助手として入っていきますね。
脚本や監督は就職を目指しているわけではないので、脚本であれば書き続けるとか、
監督の人であれば次の作品を準備しながらチャンスを窺うという感じだと思うんですけど。
製作には、TV局や広告代理店などに就職する人もいます。

S
すでに何人か監督デビューされてますね。

N
お陰さまで監督領域からは商業映画デビューの監督が出てきてます。
1期生は『東南角部屋二階の女』の池田千尋監督で2期生が『携帯彼氏』の船曳真珠監督、
イエローキッド』の真利子哲也監督(3期生)と続いて、加藤君(1期生)が
アブラクサスの祭』でデビューということになりますね。

S
ええ、シロウズの最新作です。

N
あとは、修了制作が映画祭に出て評価されています。
加藤君の修了制作『A Bao A Qu』も釜山国際映画祭のコンペティション部門に
正式出品されたり、2期生では『PASSION』(濱口竜介監督)が
サンセバスチャン国際映画祭の新人監督コンペティションと
東京フィルメックスのコンペティションに正式出品されました。
3期の『イエローキッド』は、バンクーバーに出品されて1月30日からは国内で劇場公開、
それからロッテルダム、香港、全州と映画祭をまわります。
修了制作が全国の劇場で一般公開されるのは、これが初めてです。

S
それまでの修了制作の国内での上映形態としては?

N
毎年3月にここの試写室で1回と、あと都内の劇場(今のところ毎回ユーロスペース)を借りて
有料上映する形での修了制作展を必ずやっていますね。

S
そこで認められて各映画祭に出品するんですか?

N
まず、修了制作は、必ず学校としてカンヌの批評家週間にだけは応募しています。

S
いきなりカンヌ・・・

N
今のところ結果は出せてないのですが、志としてそのくらいのレベルを狙えという、
大学としての学生に対する意思表示です。
あとは今度の修了生で4期になるので、4年目ともなると過去の積み重ねで、
映画祭の方から「今年どう?」と声を掛けていただいたりする場合もあります。
海外の映画祭はコーディネーターさんからお話をいただいて、
来日中のディレクターさんに見ていただいたりもしてますね。
それ以外はもう、製作担当と監督がどれだけ映画祭に出したがるかによるんですけど。
出品するかしないかは、基本的には学生に任せています。

S
エントリーの費用や発送なんかも学生たちで?

N
学校経由で映画祭から依頼があった場合は、全部学校側が出しています。
学生が自発的に応募する場合は、正式な出品が決まってからは
こちらが全部請け負いますけど、応募の段階でDVDを送ったり
オンラインでフォームを送るなどの手続きは全て学生に任せています。
その際、学生の場合はあまりないですが、エントリーフィーがある時は
学生が自分たちで出しています。

S
そうなんですか。

後半へ続く・・・>

Filed under: スペシャル — admin @ 17:38:40

<日映協ならではの活動>

S
活動といえば、今年14回目を迎える独特な新人監督賞である新藤兼人賞については?

J
新藤兼人賞は自分たちがプロデューサーとして組みたい監督を自分たちで発見しようじゃないかということで作った賞です。プロデューサーは監督と脚本家が大事に思っているじゃないですか。だから、この賞を通して常に新しい才能と出会いたいと思っている。

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今年の授賞式の模様

(注:今年は金賞に沖田修一監督『南国料理人』、銀賞に田口トモロヲ監督『色即ぜねれいしょん』、SARVH賞は安田匡裕氏(『ディア・ドクター』プロデューサー)が選出された)

S
そのほかに政策委員会(自主的な勉強会)などもありますね?

J
政策委員会では、プロデューサーを取り巻く問題点を研究や勉強していますけど、とても実のある活動になっていると思いますし、こういうことを定期的に活動している団体は他にないと思いますよ。

<インディペンデントであり続ける>

S
現在の独立プロダクションの状況については?

J
まず「インディペンデント」という言葉の使い方が変わってきた。
60年前に近代映画協会を作った時には映画を作れる機能を持っていたのは映画会社しかなかった時代。

S
ええ。

J
機材もない、フィルムを買うにも即金じゃなきゃ買えない、スタッフや役者も各映画会社に所属してる人しかいないという状況で、映画会社以外で商業映画を作っていたのが、独立映画プロダクションだったの。インディペンデントとは、まさに名前の通り「独立プロダクション」そのものだったわけ。

S
ええ、わかります。

J
そのあとから撮影所を飛び出した大島渚さんや今村昌平さんたちも共通認識でインディペンデントプロダクション、インディペンデント映画を作ってきたわけなんだけれども、最近“アマチュアが作る映画がインディペンデント映画だ”と言われている。

S
はい。

J
それは違うだろ、と。
個人が作る実験映画で人に見てもらうようなステージを与えられたら幸せだな、というものと、最初から商業映画公開を目指して、再生産まで目標としている僕らはそこが大きく違うと思うんだよね。つまり、独立プロダクションは資金を集めて映画を作り、映画を公開して収益が得られ、そこからまた新たな映画を生産する・・・そういうサイクルで映画をつくる(=再生産)ということを考えているのね。職業として映画を作る。

S
ええ。

J
それを同一視されて、インディペンデント映画のファーストステージかなにかが、アマチュアあるいは学生の映画だという認識には異を唱える。
僕らのやってきたインディペンデント映画の目的はいったい何なんだ?ということになっちゃうよね。認められていないというのは非常に残念。

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S
そうですね。

J
大手映画会社6社(注:松竹・東宝・大映・東映・新東宝・日活)しか映画を作れなかった時代で、カメラもライトもない僕らの先輩たちが道を切り開いてきたわけだから。それを学生の映画と一緒にするなよ、って俺なんかは思うわけよ。(笑)
彼らを下に見ているとかではなくて、僕らは職業映画人として作っているという責任を負っているんですよ。

S
歴史も背負っているわけですからね。

J
実際、戦後の日本映画を支えてきた一つにインディペンデント映画が作った作品があると思う。大きい貢献をしてきてると思うよ。

S
そうですね。

J
海外でも日本映画が評価されてる基準はそれがあると思う。やっぱり今まで見たことのない映画を作っているし、新しい映画を作ってきたのはまさにインディペンデント映画だからね。実績としてはメジャーの映画では作りえない映画を作ってきたと思いますよ。

<これからの「インディペンデント映画」・・・>

S
最近の動きは?

J
この20年くらい、思想信条ではなく「映画を作っている」「映画を作りたい」ということがあれば、誰でも映画が作れるからプロダクションを作ろうという風潮があるかな。

S
それについては?

J
肯定的ですよ。映画を作りたい人が自分の裁量と責任において作るということは尊重すべきだと思っているから。作りたいという意思があって、責任を負うということができるのであれば、誰でも作ったらいい。映画というのはそういうものだから。

S
懸念はないですか?

J
映画を作るというのは技術がいるから。その技術をどうするかという問題はある。最近の風潮で憂えるとするならば、プロの技術を尊重していないといところが見受けられること。アマチュアのシナリオライターが書いてそのまま映画にするとか、今まで1本も映画を作ったことのない新人監督や異業種監督ばかりがフューチャーされるという状況はね。

S
ええ。

J
でも、責任もって作ってくれればいいですよ。結果責任を負えるのならば、どんどん作ってほしいです。

S
はい。

J
映画製作はギャラとか労働環境が厳しいと言われて、同志的な意識がないとやってこられなかったのも事実。映画の画面を作るということに対して重要なスタッフとね。苦労があってもモノを作るプロセスの中で、楽しい思い出しか残らないじゃない。映画作りは他の創作よりも明らかに面白い。(笑)

完成時のカタルシスっていうのは、かなりあるし。やめられない。(笑)

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S
やめられませんね。(笑)
では、最後に今後の日映協としての課題・目標をお聞かせください。

J
日映協の会員を増やすということと、誰も見たことのない映画を作るにはどうしたらいいだろう、ということですよ。
これからも、新しい映画を生むことですね。

S
ありがとうございました。


2009.11.16 日本映画製作者協会にて
インタビュー:佐藤、坂巻 文責:坂巻

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新藤  次郎(Shindo, Jiro)プロデューサー 
株式会社近代映画協会(Kindaieiga Kyokai Co., Ltd.) 代表取締役
(協)日本映画製作者協会(Japan Film Makers Association) 代表理事
1949年神奈川県生まれ。新藤兼人の次男で新藤風の父。
71年、日本大学芸術科卒業後、フリーのスチールカメラマンとなる。
三船プロダクションのプロデューサーを経て、79年田中プロダクションのプロデューサーとなる。86年近代映画協会入社。90年、代表取締役となる。95年より協同組合日本映画製作者協会代表理事。

主な作品歴:  
1960『裸の島』監督:新藤兼人
1964『鬼婆』          〃
1970『裸の19才』    〃
1977『竹山ひとり旅』  〃
1987『さくら隊散る』  〃
1993『墨東綺譚』      〃
1995『午後の遺言状』  〃
1998『Looking For』監督:鶴巻日出雄
1999『生きたい』監督:新藤兼人
2000『アドレナリンドライブ』監督:矢口史靖
2001『三文役者』監督:新藤兼人
2001『ショコキ!』監督:児島雄一
2001『折り梅』監督:松井久子
2002『群青の夜の羽毛布』監督:磯村一路
2003『雨鱒の川』監督:磯村一路
2004『サヨナラCOLOR』監督:竹中直人
2005『転がれ!たま子』監督:新藤風
2008『能登の花ヨメ』監督:白羽弥仁
2008『石内尋常小学校 花は散れども』監督:新藤兼人他、多数

Filed under: スペシャル — admin @ 17:25:55


今回のゲストは、(協)日本映画製作者協会(Japan Film Makers Association)
代表理事の新藤次郎さんです。プロデューサーとしても新藤兼人監督作品の他、
数多くのインディペンデント映画を製作されています。

日本映画製作者協会(日映協)とは・・・
独立系の映画及びビデオ製作者によって構成されている協同組合で、主として組合相互扶助の精神のもと共同事業を行う目的としています。前身は日本映画独立映画協議会であり、新しい時代に対応するために新規メンバーを集め、19953月に設立されました。大手映画会社による製作本数が減少している現在、日本映画の大半の製作に日映協加盟社が関わっている現状です。現在、約60
社が加盟しています。

主な加盟社:オフィス・シロウズ/アルゴ・ピクチャーズアルタミラピクチャーズ近代映画協会GoGoビジュアル企画シグロシネカノン/フィルムフェイス/プルミエ・インターナショナルマウンテンゲートプロダクションミコット・エンド・バサラ虫プロダクションレジェンド・ピクチャーズ


「インディペンデント」であり続けるために

S(シロウズ)
まず、日本映画製作者協会(以下、日映協)の理念を教えてください。

J(新藤次郎さん)
日映協の基本理念の柱は映画製作(制作)の「地位向上」と「環境整備」、大きく言えばその2つですね。

S
具体的にはどのような?

J
地位向上という意味では今までいろいろな提案をしてきて、映画が「文化芸術」として明文化されたというのは一つの地道な活動の成果かなと思っています。

S
ええ。

<映画界、環境整備の重要性>

J
環境整備でいうと、著作権の扱いということも含まれるし、現場で働くフリースタッフの身分保障や社会的な認知度などを全部含めて、団体保障の保険を始めたということが、それにあたるかな。

img_0292.JPG

S
いわゆる映像製作傷害保障制度ですね?

J
あの保険制度だって、足かけ2年くらいかかってるから。

S
もう始まって10年以上ですよね。

J
昔はフリーのスタッフとプロダクションの社員スタッフが一緒に働く時の、身分保障の違いがある中、現実的には傷害事故が起こっても、フリーだとそれが労災認定されないという事態だったのね。今でこそ、労災認定されるように実例がでてきたけど、その時はそんなことはなくて。

S
そんな状況だったんですね。

J
だから自衛の手段として、我々も少なくとも仕事現場で傷害事故が起きた時にセイフティネットをつくる必要がある、というのが団体傷害保険を作ろうと思った動機だったの。

S
なるほど。

J
一緒に働いてくれるスタッフに迷惑もかけたくないし、重大な事故があったときの保障がスタッフへも製作プロダクションへも何もないというのを改善しないかぎり、社会的地位にも問題があると。

S
そうですね。

J
今は、この団体傷害保険があるから日映協に加入したいという団体もあるので、それだけ社会的ニーズがあると思っています。

<映画の著作権とは・・・>

S
著作権についての取り組みに関してはいかがですか?

J
映画著作権についての話し合いと提案については、日映協は行政や同じ職能団体あるいは著作権団体とも協議をするというスタンスになっているから、大きい方針が出ていると思ってます。

S
方針というと?

J
日映協の総意としてあるのは「創作したことに対する価値」を契約の中や著作情報の中で明記するようにしたいということ。

S
ええ。

J
それから、僕らはプロデューサーの集まりだから、映画の「内容」と「経済」について責任を持たなければならない。映画を作るのは「志」と「創意」と同じように「資金」ということがどれだけ重要な役割を果たしているのか、熟知している。それに苦しんでいると言ってもいいかもしれないくらい(笑)

S
はい。(笑)

J
資金の重みを充分に分かっている団体であるからこそ、資金を出すリスクに対する権利はこうあるべきだとわかる。だけど、資金だけでは映画はできない。
創作行為があって初めて映画になるわけだから、イーブンという意味ではなくて、もう少し創作者チームに対するインセンティブがあってしかるべきだと思うし、そこに対する一般的な地位向上は図るべきだと思う。

S
ええ。

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J
完成した映画の「内容」への対価は評価だったり、名誉だったりするけど、「経済」の対価として創作に寄与した人間が成功報酬という形で利益の配分を受けていいという意味ね。
一律的に職能によって権利がこうあるべきでという議論ではない。

S
なるほど。

J
その結果、出てくる理屈としては、今の日本の映画著作物に対する概念である「ドキュメントの著作物を映像翻案化した“二次的著作物”だ」という位置づけが間違いじゃないかと。(注:「ドキュメント」とは原作・脚本・音楽のスコアなど)

S
映画が二次的著作物・・・

J
映画は独立した著作物であるべきだ、と。今のこの21世紀の映像の時代に、ドキュメントの著作物を映像翻案化した二次的著作物が映画だという位置づけ自体がアナログでおかしいと。なかなか理解はされないけどね。

S
う~ん。

J
原著作権者(注:原作者・脚本家・音楽家)はなぜ権利をもっているかというと、ドキュメントの著作物が別途にあるから。そういうものは一つの映画を作るために集まったプロジェクトなんだから(権利は)イーブンだろうと思う。でも、今の著作権法だとそうはならない。「映画は二次的に発生した著作物だから、ただ単にカメラで映像にしただけだ」とそうそういう扱いですよ。おかしいよね。そういう素朴な疑問もあるし、利用の際に協議もなく自動的に承諾金が生じるというのもおかしい。          
今の権利処理の難しくなっている根拠はここにある。

S
ええ。

J
外国は違うよ。派生はしているけど、独立した新たな著作物。

S
アメリカなんかはそうなんですよね。

J
こういうことが、ほとんどの映画スタッフにも業界にも認知されていないし、
知らない。遅れているとしか思えない。

S
確かにあまり知られてないですね。

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J
権利者団体と呼ばれるところはそれぞれが個別に権利を強化しようとしている。
だけど、それぞれが自分の都合だけを言っているときに、そもそも映画著作物が一次的著作物でないというのが問題。この状況を変えていきたいけど、議論にならない。  

S
なるほど。

J
特別に問題視もしてない。そのまま受け入れられている。既得権で定着しちゃってるから。こういうことを映像に関わる教育機関で教えているかというと、教えてもいないんですよね。本来は著作権に対するしっかりとした意見を業界全体で持つべきだと思う。

S
著作権は日映協としては核となる問題ですよね。

J
核ですね。環境整備も地位向上も横断的に全部含んでいる。

S
日映協の活動も全部関連してますよね?

J
そうですね。

<後半へ続く・・・>

Filed under: スペシャル — admin @ 16:43:54

【桃まつり】流、宣伝活動
 
M
各作品、出演者もプロの役者さんですし、ポストプロダクションもしっかりしていて、自主映画の域を超えているように思いました。
各作品の製作費はどのくらいかかっているのですか?

Y
ちゃんと全部計算はしてないけど、30~40万円位だと思います。

O
だいたいみんなそれくらいだと思うんです。上の人もいますけど。

M
基本的に製作費は、みんな監督が自由に決めているのですか?

O
ええ。そうです。納期と尺だけ守ってくれれば、どんな形でもいいとしています。
今回に関しては「kiss!」という共通テーマを設けたんですけど、それをどこかに入れてくれれば、あとは監督たちの好きにしてもらっています。

M
チラシ、パンフレットも力が入ってますけど、宣伝費はどうしたんですか?

O
それも全部監督たちが出してます。
先に私が監督たちから一律でお金をお預かりして、そこから出します。
最終的にこれだけお客さんが来てくれたので、宣伝費くらいは回収できそうです。

M
宣伝費がうまくいくと、製作費の一部も?

O
今年はできるんじゃないかな?・・・てくらいの感じですかね。
みんなの能力とか細かい経費とかはほとんど計上していないので、それを考えるとトントンかな。

M
宣伝の方法とか売り込みの方法は、監督たちで会議して決めるんですか?

O
美学校卒業生で宣伝会社勤務の人がいて、いつまでに何をしなくちゃいけないとか教えてもらって、もうその通りに動く!
でもプロで宣伝をやっている人たちから見ると「プロの宣伝の仕方をやってもしょうがない」と言われたりもしました。「もっと自由にやりなよ」とさんざん言われるんです。でも基礎が見えないと自由にもなれない。まだ自分たちなりのやり方は見いだせていないところです。

M
商業映画の宣伝でも「もうこういう宣伝の仕方じゃないよね」とみんな思っているんですけど、「じゃあ、何したらいいか」はなかなか見つけられないんです。
【桃まつり】はより自由だと思われているから、期待がかかっているんですね。

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S
「私これやる!」「私これ!」みたいな宣伝の分担はあったんですか?

O
そんな積極的じゃなかったよね(笑)。

T
無理矢理「あなたこれやって」「私これならやれる」て分担を決めました(笑)。
必ず統括する人を決めて、作業はみんなでやって。
私は劇場との交渉、予告篇作りが矢部さん、ブログ担当が粟津慶子さん(「収獲」監督)。

O
編集者は別に入ってもらったんですけど、パンフレットの進行は別府裕美子さん(「クシコスポスト」監督)が。

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M
これ、タダだって言うのがすごいですね。売ればいいのに。

O
売ったら、みんな買ってくれないと思ったので。やっぱり「こういう監督がいる」ていうきっかけになるための企画なので、お客さんみんなに持っていてもらいかたったんです。

M
どのくらいの頻度でミーティングをやってたんですか?

T
週一回はやってましたね。

 M
これだけみんな仕事が忙しそうなのに、大変ですね。

O
本当に監督は大変だったと思います。
ずっと企画から宣伝までのこのやり方を続けて欲しいとは思わないけど、監督にも出来上がった後にこういう地道な宣伝活動があるということは一回体験してもらうといいかなと思いました。

S
みんな、一人一人監督はそこまで覚悟を持って参加しているんですね?
Y
最初はそこまで考えてなかったです(笑)。
S
コンセプト決めから宣伝・上映まで半年以上も10人で活動していますが、正直もめたりしないんですか?

O
もめますよ。集まればみんないろんな意見があるので。
でもそれだけ真剣にやろうとしている証拠なので、いいことだと思います。

T
最終的には力技で、こう大野さんがギュっと!まとめてます。
毎年毎年が初めてのメンバーなので、どこかで大野さんみたいに、みんなに何を言われようが最後にまとめる人がいないと。

O
なんとなく私と竹本さんの二人はやり方がわかってきかけたけど、初めて参加した監督たちにとっては全てがはじめてで。

T
本当に摸索、摸索、摸索でしたね。
 

【桃まつり】海外へ

S
ホームページをみたら「ドイツの日本映画祭・ニッポンコネクションに行ってきました」と書いてあったんですが、「3回目でもう海外にまで行っちゃうか!?」とびっくりしました。映画祭では女性監督による短編のシリーズということで紹介されたんですか?
 

O
シリーズで紹介されました。
ヨーロッパでは今女性監督ブームが一旦落ちていて、女性監督が出にくくなっている状況だそうで、あんまりいない。だから日本で女性監督という一つの括りで出ているのがちょっと面白く受けとめられてたみたいです。

M
やっぱり日本の映画界で女性監督が増えていると注目されているんですね。

O
そうでしょうね。
矢部さんが女性のプロデューサー・翻訳家さんたちとのパネルディスカッションに自主映画の女性監督として参加したんですが、イギリスのレインダンス映画祭でもちょうど同じトピックでディスカッションをやるんだと聞きました。

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M
日本はかつてないほど女性監督の人数も多いし、女の人だってことを全面的に売りにすることもなく普通に撮ってますよね。それはすごく望ましい状態ですね。
ヨーロッパとか欧米もそうだと思っていたのが、結構行き詰っているのかしら?

O
みたいですね。
女性監督という括りで注目されることは、日本でもあと10年も続かないかなと思いますけどね。でもそれが当たり前になってほしいというか。


【桃まつり】の今後の展望

S
これから監督の募集をやったりとかはあるのでしょうか?

O
もういつでも募集してます。
今までどういう作品をやってきたか、作品がなければその人の人となりが分るものをみせてもらい、会って馬が合えば是非参加して欲しいです。
今年もそういう形で監督たちと一緒にやっているので。
結果的にほとんど映画学校の卒業生なんですけど、別にそこにこだわりたい訳ではないんです。是非是非いらっしゃいませ。

S
(矢部さんに)来年は募集とかになったら参加します?

Y
まだ何も考えてなくて。
でも前に撮ってから今回まであまりにも間があいてしまって。
自分で今回やった反省を忘れないうちに何か、5分とかの短いのでもいいから撮った方がいいなと思いました。撮り続けてないと撮らなくなっちゃうから。「無理してでも撮らないと!」と思いました。

dscn1567.JPG

M
海外の監督に参加してもらうとかはどうですか?

O
本当はやりたいんですけど。海外と「作ってもらって納期守って…」というやりとりをすることが難しい。でもいつかはやりたい。

S
それでは最後に【桃まつり】の展望、というか、野望をお聞かせ下さい。

O
規模を大きくすることはあまり考えていません。
製作規模は今の感じがちょうどいいと思っているんです。
あとは色々なところで見てもらったり、それを見て自分を作ろうかなと思ってくれる人が増えたら嬉しい。
【桃まつり】で撮ったことでもっと映画を撮ろうと思ったり、撮らなくてもいいから宣伝しようとか、もっと映画に携わる人が増えたら最高だと思っています。やっぱり今回竹本さんが大阪に行って人と会ったことで広がったように、ドイツに行ったことですごい広がったこともある。日本だけじゃなくて全世界に【桃まつり】の波が広がったらすごいなと思います。

T
野望がすごいな。

O
でも出来る気がちょっとだけしました。

T
面白い人たちが出てきてなんか将来仕事につながっていくといいなあ。
もっといろんな人に「こんな人もいるんだよ」て見てもらえるといい。

O
「矢部監督も昔さあ」、みたいなことが言えるといいね。

(一同笑い)

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楽しい座談会、本当にありがとうございました。
今後、大阪・名古屋上映にだけでなく【桃まつり】は各地で上映を行います。
「桃まつりpresents kiss!」公式HPを要チェックです!

(2009年4月29日 オフィス・シロウズにて インタビュー:松田、斉藤 文責:斉藤)

Filed under: スペシャル — admin @ 13:32:12

【桃まつり】から、監督の竹本直美さん、矢部真弓さん、
主宰の大野敦子さんにお越しいただきました。

【桃まつり】は2006年映画美学校卒業生の女性有志により始まった、映画の企画・製作・宣伝・上映までのすべてを監督で行う集団です。
今年で3回目を迎え、2週間のレイトショー上映で1500人の観客動員数をあげ、
海外映画祭ニッポンコレクションで上映されるといった活躍ぶりです。

東京での公開が終わり、これから大阪上映に突き進む【桃まつり】の皆さんに
【桃まつり】流自主映画製作・上映、そして今後の展望などを聞きました。

dscn1579.JPG

齊藤(以下S)
3年目にして、2週間で1500人動員すごいですね。おめでとうございます。
東京での上映が終わっての感想を聞かせてもらえますか?

大野(以下O)
やった!やりきった!

矢部(以下Y)
すごい人だったです。びっくりしました。

(一同笑い)

O
前年も観客動員数が1000人を越えたので、今年もそれくらいは行けたらいいなと思っていたんですけど。すごくみんなが頑張って宣伝をしたのと、プラスちょっとずつ「桃まつりってなんかあるらしい!」という風に思ってくれる方が増えてきていて、その相乗効果で蓋をあけたらもっと来てくれた。

【桃まつり】のはじまり

S
【桃まつり】は2006年に映画美学校卒業生の女性有志により始まったと聞きましたが、女性だけで始まったきっかけは何だったんですか?

O
卒業してからもずっと卒業生たちでお酒を飲んでたんです(笑)。
「そろそろ飲み会以外にもなんかやろうよ」と言い始めた時にいたのが、たまたま女の子だけで。

もう一つ同時期に「十善戒」という男性監督によるオムニバス映画を竹本さんが企画していました。その女性版という思いもありました。
ただ女子だけでやろうという深い戦略的なもので始まったわけではありません。
本当は女子とか男子とかあんまり関係ないです。

松田(以下M)
戦略的じゃない、そこが良かったんじゃないの。

普段は商業映画のプロデューサーとして映画製作に携わっている大野さんが、自主映画の【桃まつり】の主宰になった理由を教えてもらえますか?

O
仕事として商業的にやってる監督たちと接するようなって、
私のまわりの人たちもイケるんじゃないかと思い始めたんですよね。
素人かもしれないけど「全然面白いじゃないか!」て。
まだまだ私にはお金を集める力もないけど、自由にやれるのだったらやってみたいって思いがあって始めたんです。

参加したい人必見!【桃まつり】の参加の条件とは!?

M
毎回9~12人の監督たちが参加していますが、【桃まつり】の監督になるための条件はあるんですか?

O
20~25分くらいの短編を撮れる方。あと撮った後の宣伝活動がものすごい大変なんですよ。自分たちでチケットを手売りするし、マスコミに電話もかけるしDVDも送る。そこまで含めてやりたい人。

S
前々回の第1弾は大野さん、竹本さんの同級生によるメンバーでしたが、前回と今回の監督たちは今までのメンバー以外、そして同級生以外の方々でしたね。
監督はどうやって選出したのですか?

O
前回までは竹本さんと木村有理子さん(桃まつりpresents真夜中の宴「daughters」監督)と私で「監督はこの人にしよう」と決めていました。

自分自身も映画美学校の卒業生なので、今回は美学校まわりの人から「こんな面白い人がいる」という情報を集め、事前に短編を見させていただいて、「ああ、面白いな」と思った方に声をかけるという形でした。
だからもともと面識があった方はそんなにいないんです。
今年意識したのは、東京以外の場所から監督を呼びたいということ。それで大阪で活動している山崎都世子さん(「たまゆら」監督)に声をかけました。山崎さんは、昔売り込みをしてくれた数少ない人なんです。

M
【桃まつり】に?

O
ではなくて、私の会社に「こういう台本があるんだけど」とわざわざ大阪から会いにきてくれた人だったんです。その後も活動を見ていて。なかなか地方にいる人とこういうことをするのはリスキーだと思うんですけど、山崎さんは頑張っていきたいという思いが強い人です。この人だったら一緒にやりたいなと思って。

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S
(矢部さんに)最初声をかけられた時、矢部さんはどうでしたか?

Y
去年撮っていた人は、学校の卒業制作に選ばれている人だったり、脚本家だったり何かしら実績がある人だったので「なんで私に声がかかったんだろう?」と思いました。

O
矢部さんの短編を観たら、一番わけがわからなかった。
「あれ、なんだろうこの人?」という思いがすごくあって。
そういう人がいたら面白いじゃないかなって思ったんです。
結構賭けではあったんですが(笑)。

テーマ

S
今年は初めて作品に共通するテーマを設けていますが、なぜ「kiss!」だったんですか?

O
監督が決まったところで、千本ノックをやって、たくさん案は出したんです。
歌を入れるとか。

Y
「秘密」とか。

O
前の年までは共通テーマがなかったんですよ。
でも【桃まつり】という名前と、女性監督というところでやっぱり女性が撮った恋愛とかエロを期待する人が非常に多かった。結果中身がほとんどそうじゃなかったんですが(笑)。
たぶん、女性で恋愛とかを撮りたい人は実はいないのかもな、と思ってた。
最終的に「kiss!」に決めたのは、「せめてテーマくらいそうしてみたらどうなるかな?」と思ってみたから。でもやっぱりダメだった(笑)。
観ていただくと分りますが、「真っ向から『kiSS!』を撮らないぞ」という意志が感じられます。

(一同笑い)

S
黒沢清監督のコメントにも
「甘酸っぱさや気楽さをあてにした観客はひどい目にあうだろう」
とありましたね。
私もかわいらしいビジュアルと、「kiss!」というテーマに騙された口です(笑)。
監督たちで、「各々こういうストーリーを撮ろう」て話合いはなかったんですか?

O
はい。でも撮影前にみんなの脚本は読んでるんだよね。

Y
締切を何回か決めてプロット、シナリオを持ち寄って、お互い読んで「こここはこうした方がいいんじゃないの」とか色々言いあったりしてたんです。
その時点でみんながどういう話をやるのか分ってたんですが、「誰か恋愛ものやらなくちゃダメなんじゃないの?」という話にいかなかった。
みんな勝手にそれぞれやりたいことをやった。

S
その点はどうだったんですか、大野プロデューサー?

O
まあ、それでいいんじゃないですか。

dscn1574.JPG

(一同笑い)

S
今後も【桃まつり】はテーマを決めてやっていく感じですか?

O
見せ方なんですよね。
監督自身もまだまだこれからの監督たちだし、「女性」で「短編」てだけだとつまらない。
「何やってるの?」「キス撮ってます!」とか言えるものがある方が、見やすいかなと思います。

いかに見せるか

S
第1弾は映画美学校試写室で1日だけの上映でしたが、第2弾からは大阪、名古屋、高知まで地方上映をやってますね。
【桃まつり】は作品を撮るだけではなく、上映活動も熱心ですよね。やっぱり「見せなくちゃいかん」という思いですか?

T
上映をしたいという思いは、塩田さんの自主製作作品の上映会を企画したのが始まりだったんです。
最初は単純に「自分が見たい、でもDVDを借りてみるのもなんだしスクリーンで見たいな」と思って企画したんですけど。
その時に、結構お客さんが集まったんです。
アンケートをとったら「こういう作品を見る機会がないから、上映してくれてありがとう」というメッセージが非常に多かった。
塩田さんご自身からも「やっぱり映画っていうのは、上映してもらって初めて映画として成立するんだ」という有難い言葉をいただいて、「そうか映画って上映しないといけないんだなあ」と実感しました。

dscn1583.JPG

S
だから積極的に地方上映を行っているんですね。
5月23日から大阪上映が始まりますが、自分たちの活動範囲ではない、東京以外での地域で自主映画を上映するのは大変ではないですか?

T
去年はあまりお客さんがこなかったんです。今年はそれがないようにと思って事前に何回か大阪に足を運んだりしてるんですが、なかなか難しいですね。

M
大阪に行ってどういう宣伝活動をしたんですか?

T
ちょうど大阪アジアン映画祭の時で、映画祭の運営局に紹介してもらってマスコミの方々にプレス試写の案内・リリースを送らせてもらったり、新聞社の方を紹介していただいたり。
あとは打ち上げの場でチケット売らせてもらったり、大阪の自主製作・上映している人たちと交流を持ったり。
地道な活動なんですけど、会って話をするとマスコミの方たちだけでなくそういう人たちと交流をもつのも大事なのかなと感じました。

M
お互いに「この人がやってるんだ」と実感があるかないかって全然違いますよね。監督たちがみずから来てくれるってなかなかないですよ。

T
本当にそう思います。去年行かないで丸投げしてたら、それがやっぱり集客に反映しちゃったのかなって。

<後半へ続く・・・>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

竹本直美
『夜の足跡』(01/万田邦敏)に製作助手として参加。その後、数々の自主映画にスタッフとして参加し、2006年万田邦敏監督とともに映画上映会「十善戒」を主催。2007年「桃祭」で『明日のかえり路』を初監督、翌08年「桃まつりpresents 真夜中の宴」では『あしたのむこうがわ』を続けて発表する。2008年「Canadian Docu Days-知られざるNFB/ONFドキュメンタリズム」企画上映運営スタッフとして参加。
 
矢部真弓
1980年茨城県出身。Vシネマ、TVドラマ等の制作部として「新 日本の首領」シリーズ1~3、「怨み屋本舗~家族の闇/モンスター・ファミリー」(テレビ東京)等に参加。また、学生映画や自主制作映画の美術部として、『ちえみちゃんとこっくんぱっちょ』(監督・横浜聡子)、昨年の桃まつりの1本『みかこのブルース』(監督・青山あゆみ)等に参加している。
 
大野敦子
1975年神奈川県出身。2000年よりユーロスペース製作部に所属。「demonlober」(02/オリヴィエ・アサイヤス)日本パート撮影にプロダクションマネージャーとして参加。その後「ミュージック・クバーナ」(03/ヘルマン・クラル)などコンスタントに海外作品の日本パート制作を行う。一方でベネチア国際映画祭参加作品「稀人」(04/清水崇)、「パピリオン山椒魚」(06/冨永昌敬)、などの邦画の制作にも関わる。近作は、「Tokyo! Merde」(08/レオス・カラックス)をプロデュース。「パンドラの匣」(09/冨永昌敬)、「ランニング・オン・エンプティ」(09/佐向大)が公開待機中。昨年の桃まつりでは「granité」、「感じぬ渇きと」を監督する。

Filed under: スペシャル — admin @ 10:00:11

そして、映画の世界へ・・・

S 
映画はいつから?

O 
映画はですね(笑)、家業のガソリンスタンドを継ぐのは
あまりやりたくなかったんですけど、じゃあ何をやるかって別に考えて
いなかったんですね。でもサラリーマンじゃないな、俺にサラリーマンは
無理だって思っていたので。そしてたまたまキネ旬を見てたら
日本映画学校の宣伝が1ページドーンと載っていて。
映画楽しそうだなぁと・・・思い付きですよ。

S 
何か思い出に残っているエピソードなどは?

O 
面接の時に武田一成(映画監督)という強烈なキャラクターの方が
面接をしてくださったんですけど、
「お前この学校に入らない方がいいだろう」
って言われまして。(笑)
そんなこと言う人に会ったことがなかったので、
世の中にはこんなに面白い人がいるんだと。
本当にそれは衝撃だったたんですけどね。(笑)

S
なるほど。(笑)

O 
ひょっとしたら映画に向かないかなとか、肌に合わないかなと思ってたんですけど、
それでもいいやと思って26歳で映画学校に入って、3年間若い連中に交じって
なんでまた学生やってんだろうと思いながら。(笑)
でも、映画学校に入ったら、この仕事するしかないだろうっていう風に思いましたけど。
そうそう、その頃まさに“福本耕平”の時代ですよ。
映画学校の卒業生はこんなの撮っていると。
<注>『福本耕平かく走りき』(’92)はシロウズ久保田の城戸賞受賞&監督デビュー作

S
おおー。

― そこへ話題の久保田が登場。
久保田が日本映画学校の3期生で小沼監督が7期生という先輩後輩関係であることが
明らかに・・・。

O 
ちょうど『福本耕平かく走りき』公開の時期でしたから。
久保田さんは城戸賞も取って、映画も監督して、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで。(笑)

S 
スターだったわけですね。(笑)

久保田 
いやいや・・・。

O 
その時にラジオの公開インタビューの観覧に呼ばれて、
久保田さんがすごい上から目線で答えているのを見て、
映画学校を卒業して成功したらこうなるんだーって思いました(笑)

S 
(一同爆笑)

O 
そういうこともあって(笑)、“映画学校を卒業したら映画撮れるかもしれない”という
希望はありましたよね。
あと、その時に久保田さんが映画の作業で一番面白かったのはなに?という質問に
キャスティングが一番面白かったと答えていたのは今でも覚えていますけど。

S
 へぇー。
でも、そういうことも上から目線で答えてたんですね。(笑)

久保田 
(笑)

助監督時代に・・・

S 
その頃はシナリオは原稿用紙で書いていたんですか?

O 
自分は最初からパソコンで書いていましたね。市販で買ったVZ Editorとか使って
書いてましたね。当時は、98(NEC9800)なんですけど。
Windowsになってからも一太郎とか使ってましたかね。
でも、やっぱり使い勝手が違うとか、俺だったらこうはしないとか、
思い始めるわけですよ。
それから、映画学校の時代にもスケジュールソフトを引き続き作っていたんですけど、
どうしても文章を編集する機能が必要だって事になったんです。
文章をつくる部品を他から借りてもいいんですけど、やっぱり自分で作りたいって
思い始めてですね、それでそれ(O’s Editorの原型)を開発し始めたのが、
卒業してからですかね。助監督をやっているころですね。
当時はO’s Editorという名前もなかったので。

S 
そうなんですか。

O 
それとは別にシナリオの原稿をペラで書くときの字下げがあるじゃないですか。
それを自動的に成型するソフトは作ってたんですよ。
テキストエディターを作り始めるのと同時に、その機能も盛り込んだ方がいいと
思ったのは、助監督をやっていたからですかね。

S 
というと?

O 
助監督で、Vシネとかだと台本じゃなくて、Wordのデータでもらったり
するじゃないですか。そうすると読みづらいし、台本の字数にもなってないので
ページの計算もできないですから、それは不便だなと思って。
違うソフトで書けばいいのになと思って、始めました。

O’s Editor誕生秘話

S 
それがある程度認知され商品になったのは?

O 
最初はある程度のテキストエディターを作ったんですけど、
本格的なシナリオの機能を含めたのは1999年くらいの頃なんです。
その時に助監督はけっこうやってたんですけど、ちょうどカミさんと結婚した直後に、
うちの親父がガンになってしまって。入院しなくてはならないというので、
ちょっと来てくれと言われて。診察した結果を聞きにいったらレントゲンを見せられて、
腎臓が2倍くらいに膨れていて・・・ガンもあちこち転移してたんですよね。
もう明らかにダメだというくらい。でも、うちの親父はバリバリの現役の社長だったので、
「生きる」ということしかない、「働くんだ」「生きるんだ」というタイプの人間だったので、
とてもじゃないけど「あと半年だ」って言えないわけですよ。
しょうがないので入院して、とにかく交替で看病するしかないという感じに
なったんですけど。
それで、助監督をいったん中断してですね、一回田舎に帰って。
おふくろとかと交替でベットのそばにいて、親父が痛がる部分を
3時間も4時間もさするんです・・・。病院ではその他にやることがないので、
パソコンを持ち込んで、作りかけだったO’s Editorをずーっとやってたんですよ。
親父が寝ている時は(パソコンを)カチャカチャやって、目が覚めると身体をさすって・・・
これで、O’s Editorの開発が進んだっていうのはあるんですけどね。
だからもう、自分にとってはO’s Editorの開発してたのを思い出すと、
本当にその状況が浮かびますよね。

S 
そんなエピソードがあったんですね・・・

O 
ちょうど、O’s EditorのVer.2っていうのがシナリオ形式のできたバージョン
なんですけど1999年の5月25日なので、うちの親父はまだ生きていたんですよ。
うちの親父も痛みがあったのでモルヒネを飲んで、だんだん量も増えて
いったんですけど、薬のせいで俺を見ても「お前誰だ」っていうんですよ。
家に一時帰宅しても「ここは家じゃない、早く帰してくれ」とか言うようになって。
あの頃は大変でしたね。そういうことを紛らわす意味でも、
とにかく何かやっていた方がいいということもあったので。
その中でプログラミングをやれてたっていうのは、大きかったですよね、本当に。
それがあって、O’s Editor のVer.2を公開して、だいたい今の原型にはなりましたね。

S 
そんな状況だったとは、ちょっと想像できなかったですね。

映画業界ではすでに常識?!

S
ところで、その時点でどのくらいの人がO’s Editorユーザーだったんですか?

O 
どうですかね?数えたことがないので・・・1000人くらいは使っていたと
思いますけど、トータルで。

S 
ご自分で映画業界の人に営業のようなことは?

O 
それはあんまりやらないですね(笑)
恥ずかしいじゃないですか。

S 
(思わず一同)欲のない人だなぁ・・・。(笑)
O’s Editorを使った業界の人からは、何らかのリアクションがありますか?

O 
そうですね。だんだん現場で言われるようになってきたんですよね。
助監督経由で知ったんですけど、共同テレビ周りでは早かったみたいですよ。(笑)
あと、ある監督の作品に助監督でついた時に、俺が台本形式で印刷するソフトの話を
し始めたら、その監督が「それダメだよ、もう開発されてるから。遅い遅い」って言われて。
それは、俺のソフトだったんですけど。(笑)

S 
(笑)

O 
こないだも装飾の人と監督とシナリオライターとで飲んだ時に、
みんなO’s Editor使ってるって話になって、
その場で要望を出されて、家に帰って直して・・・。(笑)

dscn1457.JPG

商売の才能はない?!

S 
商品登録みたいなことって?

O 
特にないですね。野菜を道端で売っているような感覚ですね。
特許も取ってないんですよね。

S 
取らないものなんですか?

O 
取る人もいますよ。自分はまあ、面倒くさいっていうことだけですけど。(笑)
あとは、ネットの世界の流儀ってやっぱりあるんですよ。文化って言いますか。
みんなのものだっていう。オープンソースみたいな概念も当時からあったんですけど、
要するに開発するには膨大なコストがかかるから、みんなにオープンにして、
みんなで協力し合っていいソフトを作るっていう文化があるんですよね。
シェアウェアもあくまで、パッケージソフトとは違うという気持ちが少し入っていてですね、
ネットの世界では「これはオレのものだ」「特許だ」とかっていう風に囲うことは
嫌われる風土があるんですよ。
それにこだわっているってことでもないんですけど。

S 
誰かが、O’s Editorをそっくりに作ったら?

O 
もし誰かに真似されても、それはそれでいいやと。
真似されたらそれよりももっと良くすればいいんだ、という気持ちがあるので。
とにかく、気軽に使ってほしいというのが一番ですね。

S 
過去に大手メーカーからパッケージソフトにするお話とかは?

O 
一度、別のソフトでありましたけど、基本的には搾取されて終わったので。
人に預けてもいいことないなと思っちゃたんですよね。

久保田 
・・・もしかしてさ、商売の才能ないんじゃないの?(笑)

O 
あんまり興味ないですね。(笑)

S 
今現在のユーザー数は?

O 
数えてないのでわからないんですけどね。
だいたい・・・また1000人増えたくらいですかね、たぶん。(笑)

S 
数えないんですね。(笑)

サポート対応のマル秘話

S
ユーザーに対しては、一人でクレームとか要望とか問い合わせとかの対応を?

O 
そうですね。サポートが色々大変ですね。基本的にメールなんですけど、
一般の人でもどこかから番号を調べて携帯にかかってきたりしますからね。(笑)
たまに怖い電話も・・・昔はけっこうありましたね。
ヤ○ザの追い込みみたいに、
「バグってんだよ!どうなってんだ!」って。
「ちなみにどうやって電話番号しらべたんですか?」って聞いたら、
「うちは探偵だからいくらでもわかるんだよ!」とか。(笑)

S 
(一同爆笑)
ドラマがありますねぇ・・・。

O 
映画業界の人からの直電もありますよ。
業界の代表がプロデューサーのEさんなんですけど、
ある日知らない電話番号から突然電話がかかってきて、
「Eだけど・・・」
(Eって誰だろう?)って思ってたら、
もう、10年来の友達のように
「ちょっと来てほしいんだ」って、呼び出しをくらって。(笑)
それで東京○○○○に行ったら、パソコンの前でEさんが
「これはどうなってるんだ?」って。
その場でレクチャーして・・・。(笑)

S 
実は私もEさんにO’s Editorを教えられたんですけど、
「俺は開発者に直接教えてもらった」って相当自信を持ってたんですよ。
私にも何かのシナリオを送るから読めと、ついてはO’s Editorを入れろ、
入れたら電話してこいって言われて、電話したら、何をしてこれをして・・・って
レクチャーされました。(笑)

O 
Eさんは相当O’s Editorに入れ込んでいるんですよ。
たまにEさんからメールが来ると「O’s Editor宣伝しておいたから」って。(笑)

S 
(笑)

新たなO’s Editorの誕生?!

久保田 
今後のO’s Editorはどうなるの?

O 
正直言って、自分が欲しい機能は大体揃っちゃったんですけど、
時代の流れでUNICODEに対応しなくちゃいけないとか、
いろいろ諸問題はあるんですよね。
あと、アウトラインでツリー上でシーンの構成を見たりとかできるように、
それはEさんからも「早くやれ」って言われているので。(笑)
でも、ちょっと手間がかかるので、長期的展望でやらせてもらおうかな、と。
その他に、なにか要望があれば?

久保田 
予算割り出すソフト作ってよ。「現場、○○○○万じゃ無理っす」みたいな。(笑)

O 
「このソフトが無理って言ってるだろう」って?(笑)

S 
そういえば、ヒット予想ソフトとかあったよね。

久保田 
あと、昔ハリウッドで台本入れるとソフトがカチャカチャ計算して、
「ドラマツルギーにおいての前フリが解決されてません」とか、
「人物の説明がされていません」とか出るソフトが一時期
ちょっとだけ流行ったって。

O 
でも、それってどうやってやってるんですかね?

久保田 
俺は、誰か小っちゃなおっちゃんが読んでるんじゃないかと(笑)

O 
それで返ってきたのが一言「おもしろくねーな」とか?(笑)

S
(一同爆笑)

O 
まあ、プログラムでできることにも限界がありますからね。
とにかく、O’s Editorを作った最初の動機は、
“書く人が楽をしてほしい”と思っていたので。
書く人が、クリエイティブな作業に集中できるというためには、
改行とか字下げとか考えなくていいということを求めていたので、
シナリオライターにとって一番いいソフトでありたいなと思うんですけどね。

S 
シナリオライターの勉強をされている方に広まってほしいですね。
学校とか教育機関とかでも使ってほしいですね。

O 
そうですね。オフィシャルなソフトになるといいいんですけど。
業界内ではだいぶ浸透してきたので。

S 
このインタビューが少しでも普及に役立てばいいですね。(笑)

(2009年1月16日 オフィス・シロウズにて インタビュー:松田、坂巻)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<最新情報>

小沼雄一監督作品 『童貞放浪記』
http://blog.livedoor.jp/dotei_horoki/
2009年公開予定 乞うご期待!!
sabu.jpg

■解説
東大卒の金井淳は、専任講師として勤め始めた大学でまたも
先輩から因縁をつけられた。いつもそんな立ち位置の人生である。
でも彼には人に言えないコンプレックスがあった。
30歳にして「童貞」なのだ。
そんなある日、大学院の後輩・北島萌と学会で再会した淳は、
初めての恋心に戸惑いつつ童貞を卒業するチャンス到来と胸を躍らせる。
しかし、萌には海外留学への出発日が迫っていた…。
小谷野敦の自伝的小説「童貞放浪記」の映画化作品。

■スタッフ&キャスト
[監督]小沼雄一[原作]小谷野敦[音楽]micromicrorhone
[キャスト]山本浩司 神楽坂恵 堀部圭亮 

小沼監督からのメッセージ
「山本浩司さんと神楽坂 恵さんのほとんどその二人のやり取りがメインなのですが、
二人とも絡みのシーンが初めてで、非常に初々しいというかぎこちなさがリアルな感じで、
そこは見どころです」

Filed under: スペシャル — admin @ 14:00:03

シナリオを書くには、字下げや改行において実は色々と形式がある。
その形式に煩わされることなく、文字を打ち込めば
自然とシナリオ形式に出来上がるという、画期的なソフトがある。
その名もO’s Editor(オズエディター)。
http://ospage.jp

このO’s Editorはシナリオ以外の大学ノートや原稿用紙などの
形式にも対応。映画業界のみならず、様々な分野のライターにとっても
本当に重宝するソフトです。

今回は、映画監督として活躍する一方で、そのO’s Editorを開発した
小沼雄一さんをお迎えして、O’s Editorの魅力や開発秘話、
映画業界に入ったきっかけなどお話を伺います。
今年公開の最新作『童貞放浪記』も要チェックです!
http://blog.livedoor.jp/dotei_horoki/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初めてのパソコンとの出合い

S(シロウズ)
シロウズ内でもみんなO’s Editorユーザーです。
こんな画期的なソフトをもっと世に知らしめたほうが
いいのではないかと思いまして・・・(笑)

O(小沼監督)
ありがとうございます(笑)

S 
まずは、どういういきさつでソフトを開発することになったのか・・・
そもそも、パソコンを最初に触ったのは?

O 
一番最初、高校1年生の時にオヤジがNECのPC6000-1という、
当時パピコンと呼ばれていた子供向けのパソコンを買ってきたんですね。
無理やり親戚に買わされたみたいなんですけど。
それに、とたんにハマっちゃいまして。
もちろん当時はインターネットとかない時代で、
画面も今みたいなビジュアルはなくて文字だけの世界で、
それをTVに繋いでやるんですよ。

S
TVに繋いで?!

O
当然、ソフトなんて入ってないんですよ。
ただ、プログラム言語は入っているので、
1+1=2とかってことは出来るんですよ。
それをだんだん複雑にしていくと、プログラムが組めて
ソフトみたいなものが作れるんですね。

S 
なるほど。

O 
それで、一番最初に作ったのが、じゃんけんゲーム。
じゃんけんのグー・チョキ・パーを1・2・3で選択して
パソコンと勝負をして、勝ったか負けたか、それだけのプログラムなんですけど。
だんだん複雑になって、オセロゲームも作りました。
自分で作るだけじゃなくて、当時のパソコン雑誌に数字でプログラムが
ずーっと16進数で丸ごと書いてあるのを全部自分で打ち込んで、
ソフトをやっとパソコンの中に入れて遊んだり。
今だったらソフトをダウンロードしてインストールっていう形ですけど、
当時はそんなものはないので。

S 
へぇー。(感心)

O 
一応記録もできるんですけど、記録は基本的にテープレコーダーの
カセットテープだったんです。フロッピーもありましたけど、
一般的には出回っていなかったので。
フロッピーって、すごい高価なものだったんです。
かれこれ・・・25年前くらいですかね。そういう時代がありまして。

S
(プログラミングの)素質があったんですね?

O
地道にコツコツやるのが好きだったんです。
プログラミングをしていると、当然バグとかが出てくるので、
それをやっては直しやっては直し・・・で、完成する
その作業が好きだったんですね。

dscn1452.JPG

自作ソフトをネット上に初公開

S 
そのままプログラマーの道には進まずに?

O 
当時は学生をやりつつ、パソコンもだんだん進化していくので、
また新しいパソコンを買って、複雑なプログラムを組んだりしてたんですけど。
大学生の頃にインターネットの前のパソコン通信と言われる
ニフティサーブがあったんですけど、そこでソフトを作って
公開することができるようになったんですよ。

S
パソコン通信・・・懐かしいですね
 
O
その時に、自分が作って初めて公開したのが
スケジュール管理ソフトなんですけど、割と反響があったんで、
こっちも有頂天になってどんどん改良していったんですよね。
その時はフォーラムっていうのがあって、今で言うコミュニティみたいに
パソコンを通じて他の人とやりとりができました。
ユーザーの人から、こうしてくれああしてくれって言われるとうれしくて、
もっと機能を増やしていこうという感じで・・・
だいぶのめり込みましたね、その頃は。

S 
無料でソフトのやりとりを?

O 
そうですね。最初は無料でやってたんですけどね。
有料にしたのは、まだ映画業界とはまったく別の仕事をしていた時ですね。
その頃は働きながらソフト作りをしてまして。

S 
別の仕事というのはコンピューター関係ではなくて?

O 
全然違います(笑)
うちはガソリンスタンドで、当初は家業を継ぐつもりだったので、
別の会社のガソリンスタンドで寮に入って働いていました。

S 
その頃ソフトを開発されるのは皆さん趣味ですよね?

O 
基本的には趣味ですね、みんな。
最初はあくまで趣味の領域でやりとりしていたし、
向こう側にいる人(ソフトの利用者)とのやりとりもけっこうあったので、
お金を取るのがあんまりいいことじゃない感じがあったんですけど。
初めて“シェアウェア”という呼び方が出てきて、
ソフトを有料にするという流れが出始めまして、自分もその流れにのって、
スケジュールソフトを1個1000円でやり始めたんです。

S 
そこで有料にしたんですね。

O 
“シェアウェア”って普通の商品とは違って、対価を分け合うという意味なんですね。
分け合うソフトウェアだって。
こっちがみんなの欲しいソフトに対して負担するので、
みんなもちょっとだけお金を払ってくださいという概念だったんですね。
安いので、一般の市販しているソフトほどはサポートはできないけど・・・
っていうのが広まっていったんです。
それでもまだインターネットではなくパソコン通信の時代ですね。
当時のパソコンはNEC9800シリーズが主流だったんですけど。

S 
歴史がありますね。

パソコン通信からインターネットの時代へ

O 
パソコンの歴史って短い間にどんどん変わるので。
Windowsが出始めて、Windows用のソフトもみんな作り始めて、
インターネットも徐々に広まり始めて、Windows95あたりで
もう今の原型のようなインターネット環境ができて。
そうするともう一般にソフトを売るということ自体が
普通に認識され始めたんですよね。

S 
パソコン通信の時代は日本国内だけのやりとりだったんですよね?
Windowsが出た時の衝撃とか周りの反応は?

O 
流れとしては、Windowsの前の98もNECっていう
日本のメーカーなんですけど、Windowsのマイクロソフトが普及させた
MSDOSという基本ソフトだったんです。
だから、そんなに日本から世界へという感じではなく、
Windowsになったのは必然という感じだったんです。
インターネットは世界に繋がったっていうこともあるんですけど、
今までにない概念だなというのはありました。

S 
インターネットも一番最初のころから?

O 
どれを最初の段階というか・・・
インターネットはUNIXというWindowsとは違う基本ソフトで
大学を中心に広まったネット環境なので、パソコンの人たちが
インターネットと繋がったのは、インターネットが普及してからなんですよね。
いずれはくっつくだろうと言われながら、結構長い時間がかかっているんです。
ただ、一回インターネットと融合しちゃうと、もう早かったですけど。

S 
そうだったんですか。

O 
当時はパソコンやってるなんていうと「なにそれ」という反応でしたからね(笑)
まさか、みんなが使うことになるなんて、夢にも思わなかったですからね。
あくまでマイナーなものでしたから。(笑)

S 
それが、誰もが使うようになるなんて(笑)

O
Windows95が(メジャーなものへの)分岐点だったと思うんですけどね。
パソコン通信やってた人たちはむしろインターネットに乗り遅れたっていう
感じがあるんですよね。
逆にパソコン通信からインターネットの流儀に慣れるというのが大変でした。
インターネットは最初は本当に学術的なところで作られたものだったので。

S 
ええ、なるほど。

O 
むしろ、自分がネットをやったのはパソコン通信だったので、
最初にNIFTYサーブに接続して、書き込みをして、
返事が来るという衝撃はすごかったですね。
この中(パソコン)に人がいるという。(笑)

S 
そっちの方が衝撃だったわけですね。(笑)
当時からオフ会とかあったんですか?

O 
自分のソフトを中心としたフォーラムにいたので、
そこの人たちとは何回かオフ会もありましたね。
普通の居酒屋で飲んだりとかしたんですけど(笑)
当時は本当に狭い世界だったので、もう自分たちで
ソフトを育てようという感じでしたね。

S 
割と同年代の方ですか?

O 
そうですね。たぶん今の40代から50代くらいの人が
一番やってたんじゃないですか。

S 
それだけプログラムを組めるのに、
そちらの道に進まなかったのはなぜですか?

O 
それを仕事にしてしまうとちょっと違うと思ったんですよね。
仕事にしちゃうとお客さんの要望に合わせたり会社の方針に従ったり、
作りたくないモノの部品だけを作らされたりとかになっちゃうので。
やっぱり作りたいものをゼロから作るというのが、楽しかったわけなので。
多少シェアウェアでおこづかい程度のお金も入るので、
だったら趣味としてやっておいた方がいいかな、というのが
ずっと一貫して変わらないですね。

<後半へ続く・・・>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<最新情報>

小沼雄一監督作品 『童貞放浪記』
http://blog.livedoor.jp/dotei_horoki/
2009年公開予定 乞うご期待!!
m2.jpg

■解説
東大卒の金井淳は、専任講師として勤め始めた大学でまたも
先輩から因縁をつけられた。いつもそんな立ち位置の人生である。
でも彼には人に言えないコンプレックスがあった。
30歳にして「童貞」なのだ。
そんなある日、大学院の後輩・北島萌と学会で再会した淳は、
初めての恋心に戸惑いつつ童貞を卒業するチャンス到来と胸を躍らせる。
しかし、萌には海外留学への出発日が迫っていた…。
小谷野敦の自伝的小説「童貞放浪記」の映画化作品。

■スタッフ&キャスト
[監督]小沼雄一[原作]小谷野敦[音楽]micromicrorhone
[キャスト]山本浩司 神楽坂恵 堀部圭亮 

小沼監督からのメッセージ
「山本浩司さんと神楽坂 恵さんのほとんどその二人のやり取りがメインなのですが、
二人とも絡みのシーンが初めてで、非常に初々しいというかぎこちなさがリアルな感じで、
そこは見どころです」

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