2010/4/13 火曜日

「As Time Goes By」

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 11:56:22

私はアルコールはほとんど嗜みませんが、大の愛煙家です。
大学入学で上京してからはバイトの連続で文字通りタバコ銭にもことかき
20本入り40円の安い「しんせい」という銘柄を、それも半分に切って
それでも短くなると楊枝を突き刺してちびちび吸っていて、
さらに金がなくなると友人の英和辞典のページをこっそり破り、
吸い残しの煙草の葉を集めて丸めたタバコもどきでしのいでいました。

値段だけなら「ゴールデンバット」20本入り30円という
パッケージもあったのですが、こちらはひとくち吸うと
あっという間に半分くらいが灰になってしまう安物で
腹立たしいしろものだったな。

アルバイトの金が入ると、ショートピースを買うのが
何ともいえず贅沢な感じでしたが、50年後の今では
50本入りのピース缶を買い込んで本棚に並べ、とてもリッチです。

若いころに見たアメリカ映画で『三つ数えろ』(’46ハワード・ホークス)
だったと思うのですが、主役のハンフリー・ボガート演じる探偵が
ひっきりなしにタバコを吸うのがとてもカッコよくて、
人差し指と中指の間にタバコを挟むのが普通でしょうが
私はボガートを真似て親指と中指で持つようにしました。
それと火のつけ方。
練習の結果、片手だけでマッチをすることが出来るようになった時は
とても得意でした。
三帖半のアパートで、何やってたんでしょうか。

そういえばこの俳優さんの通称はボギーで、多くのファンがいました。
ウディ・アレンの映画で『ボギー!俺も男だ』(’72)
というコメディがありましたがこれの原題は『Play it Again Sam』で、
ボギーの『カサブランカ』(’42マイケル・カーティス)の
名セリフをもとにしたパロディでしたから、
彼もボギー映画の熱心な観客だったのでしよう。

Sam が弾くのはいうまでもなく「As Time Goes By」で、ボギーは
そのピアノを聴きながら別れていった女のことを無表情に偲ぶという、
この顔色も変えずというところがたまらないわけで、男なら誰もが一度は
そうありたいとあこがれるハード・ボイルドの極致ですね。

私もタバコの吸い方で終わっていればよかったのに、
ボギー熱が上がるにつれて、やはりトレンチコートだよと
丸井のローンで買い込み、タバコは両切りと決めたのです。

もう十年以上も昔のことですが、私の還暦カレンダーを
スタイリストやカメラマン、映画監督たちが作ってくれたことがあり、
それ用の写真を撮るのにどんなシチュエーションがいい、
と訊かれた私は当然のように、ボギーにしておくれ、
と強制しました。

01.JPG 

友人たちからは、やるもんだね、思ったより格好いいよと云われて
俺の人生ハードボイルドだからな、なんちゃって、
と答えながらじつのところ、自分でもかなり気に入っているのです。

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 15:54:51

まだ続いていたのかと云われそうですが、
1月9日、私の部屋は美術監督のリフォームチェックを受けて
とりあえず第一段階終了、となりました。

1.JPG

厳しい目つきでメジャー片手に歩き回った美術部のダメだしは、
チエアとフロアスタンドを1.5メートル前へ出す。
1. 6メートル×1.8メートルのラグを敷く。
そして色合いはフロアより白っぽいベージュかさもなければ
濃いセピア系にすること。
高さ45センチ、60センチ×70センチのサイドテーブルを置く。
以上、三点でした。

ありがたいご託宣で、その後は皆でワインを飲んで寿司を食べていましたから
まずは成功でしょうか。やれやれ。

2.JPG

実はわたくし、大晦日から二日間を外出することもなく
新設床暖房のフロアでごろごろ転がったりしながら過ごすうちに、
年は明けて寅、私の年です。
威風堂々と云いたいところですが、本来はネコ科ですから
二所ノ関一門の貴乃花部屋にならえばネコ一門所属のトラ部屋みたいな関係で
ネコには頭があがらない存在です。

そういえば『What’s New Pussycat ?』(’65/クライヴ・ドナー)という
妙な映画がありましたね。
邦題が「何かいいことないか子猫チャン」でしたから、なかなかの名訳で、
見た当時はポップでおしゃれな映画だと思ったのですが
ほんとうはどうだっただろう。
エンディングは、そのころ私のごひいきだったバート・バカラックで
トム・ジョーンズが熱唱していて、これは歯切れのいい曲だったのを思い出しました。
この人はひどい汗っかきらしく、ステージショウではいつも
顔をぬぐったハンカチを客席に投げ、
女性ファンがきゃあきゃあ叫んでそれを取り合うのが売り物でした。

ところで元旦。
私が床暖房でぬくぬくしているのにテレビの中では
北関東の風を切って青年たちが実業団駅伝で抜いたり
抜かれたりしています。

そこで私も机に向って今年の目標をたてようと
背筋をのばしてあれこれ考えたのですが思いつかない。
やっと浮かんだのが「唇には歌を」。

いかん。
昔よく芸術志向青年集団が叫んでいたフレーズです。
気恥ずかしいかぎりである。
と悩んでいるうちに正月が明け、成人の日を迎え、誕生日が過ぎ、
そういえば誕生日にスタッフがくれた「バカ田大学ノート」というのがありまして、
表紙上には金箔摺りで校章が、下には「バカ田大学」と校名が、
表紙を開くと校歌が印刷してあります。
「都の西北 早稲田のとなり」ではじまる赤塚不二夫氏によるものです。

41.JPG

いいなあ、バカ。
ひと昔まえのテレビ番組によると、なんでも岐阜のあたりに境界線があって
それより西ではアホといい、東ではバカなんだそうですが、人間71才になると
あまり怖いものがなくなって、もう何と云われても気にならない。
そこで私の今年の抱負は

「バカで行く」

と決めたのですが、
これで残る330日強を乗り越えていけるのか不安な一年になりそうです。

2009/12/3 木曜日

君恋し

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 14:18:13

実験室で博士が白髪を振り乱して
「うーむ、出来ない、なぜだ?」
と悩んでいるところに、白衣の助手が駆け込んできて
「センセイ!できました!」
「おー、できたか」
「できました、ラーメンが」
とカップ麺を出す。博士、思わずコケる
そんなギャグを書いたことがあります。
四十年くらい前のテレビバラエティです。何だかなあ。

今回できたのは私の高齢者用ワンルームで、八週間もかかりました。
ひと部屋で何にでも手が届くのがテーマだったのですが、
これが意外にも広い。
どんなに広いかというと、さっそく偵察にやってきた事務所の女性二人が
あとは奥さんをもらうだけですね、
とつぶやいたくらい広い。

おまけに、お祝いにもらったコンランのケトルを
IHクッキングヒーターにかけたら、これが喋るのです。
メニューから選んでくださいだの、加熱しますだの、なかなかうるさい。
誰もいない部屋で、ひとりで喋っているかと思うと気の毒な気もしますが、
お前がこの部屋の主役じゃないだろうが、
いい気味だとも思います。

視察要員の二名は、IHヒーターを駆使して歯の治療中である私に、
すきやきうどんを作ってくれたのですが、ほんとうの目的は
私が面倒くさがって、ひとまとめにしていた小銭を持ち帰ろうとしていたようで
キャリーバッグ持参です。
30分かけて、せっせと詰め込んだのですが、
重くて持ち上がらない。
腰が、とか佐川急便とか、ごたごたしている間にもIHが
高温にお気をつけくださいなどと言い出し、
結局、二名豪遊の財源はバッグにおさまったまま、部屋の片隅に
置きっぱなしになってしまいました。

実はこのうちの一人は、ついこの間、結婚披露のパーティを開いたばかりで、
私もいきがかり上、何か挨拶する破目になり、
愛情なんか何になるんだ、問題は友情だと言ってしまったものですから、
数人が固まってしまい、数人が退いてしまい、大部分の来客は
ふうん、という顔で皿の料理に熱中しているふりをしていました。

パーティのラストは新婦の投げるブーケを
誰が受け取るかでもりあがるわけですが
私も名誉回復とばかり、最前列へ進もうとしたら
両脇の女性から、やめなさいよ、コケたらぶち壊しでしようが
と腕をつかまれ、落ち着かないでソワソワしているうちに
会場のカナル・カフェには宵闇が訪れはじめていたのです。

そういえば昭和初期のヒット曲に「君恋し」というのがあって、
のちにフランク永井がカヴァしましたが彼は
宵闇せまれば、悩みは果てなし、乱るる心に
と歌っていて、他人事ではなく私にとっても心乱れる十日間でした。

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 15:32:00

いま私の家にはドアがありません。
ドアがあると眠れないとか、アレルギーで体が痒くなるとか、
そういうわけではありませんが、もとはと言えば
私がリフォームを思い立ったせいです。

何か理由があってリフォームするのが普通だと思いますが、
私の場合、特段の必要があるわけでもなく
ただ、やってみようと思っただけなのですが、かといって
もっともらしい事情があったほうが格好もつくしなと考え、
そうだ、高齢者用住宅がいい、と名分をみつけました。

さっそく映画美術の第一線にいるスタッフ三人に来てもらい、
ああだこうだとまとまらない話になったのですが、
誰が言い出したのか、壁をこわして二部屋をつなげたら、とのアイディアに
みなが乗ってしまい、どうせならもう一部屋もつなげてワンルームにしたら、
という乱暴な結論になってしまいました。

25年前は家族三人で暮らしていたのですから小さい部屋が三つと
リビングで構成されていたマンションなのですが、
小部屋がひとつと逆L形のリビングという不思議な一人住まいになります。
年をとってくると、いちいちドアを開け閉めしながら移動するのが
面倒くさく、一部屋ですべてが済めば、立派な高齢者仕様です。

一日目、朝八時半
工事スタッフが、いきなりやってきて壁を壊しはじめました。
邪魔ですから私はそうそうに家を出ましたが、時間をつぶす場所などありません。

三日目、夜十時
帰宅したらすべてのドアがありません。
トイレと風呂場だけには半透明のビニールがぶらさがっています。
というわけで私はそれ以来、とても風通しのいい生活を送ることになりました。

七日目、
妙なものが室内にできあがっていました。

11.JPG

何だろう。どう見ても檻だ。
後年、徘徊するだろう私を閉じ込めておく意図でもあるのか。

はるか昔、映画だったかテレビだったかとも思いますがエルヴィス・プレスリーが
「ジェイルハウス・ロック」(「監獄ロック」)を歌っていたのを見たことがあります。
画面いっぱいが檻で、囚人服の彼が腰を振って歌うと
囚人が一斉に踊るのです。
チンピラ風のや太ったギャングたちの乱舞ですね。
たぶん「トロンボーンを吹き鳴らせ、監獄暮らしは天国さ」
みたいな歌詞なのでしようが、
いまの私は自分の家の中の檻を見るたびに
これが何の役に立つのか少し不安です。

工事開始からはや七週。
エアコンも取り外してあるので朝晩はさすがに冷気が身にしみる季節ですが、
いつになったらヴィンテージマンションでの生活が始められるのか、
早朝に家を出て新宿の面影珈琲店で時間をつぶし
一番に事務所のデスクに座る、そんな毎日が続いています。

2009/9/7 月曜日

Unforgettable

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 12:53:25

先日、出かけようとして靴を履いたら、
なんだかつま先がバタバタするので
手にとって見ると、ラバーソールと前半分の縫い目の部分が、
はがれてしまっています。

お気に入りの黒いブーツだったので、三年ほど前、
同じところが破れていたのをボンドで無理に貼り付けて
ごまかしたのを思い出しました。

いつ買ったのかというと25年前、ロンドンに行ったときです。
そりやダメになるよな、とも思いましたが、
考えてみると私は、物持ちがいいというか、整理下手というか、
靴だけでなくスーツやジャケット、ハンカチにいたるまで
三十年くらい昔のものをまだ使ったりしているのです。

一年にひとつ新調したとしても、これでは置き場に困るわけで、
もてあましたスーツ類をまとめてスタイリストの小川久美子の家へ
持ち込んだことがあり、スタイリストは在庫が豊富じゃないとね、
と恩着せがましく、これは絶妙の処分方法だと納得していたのですが、
二度目を試みようとしたら彼女から、
登場人物がみんなスーツ姿ばかりの映画なんかないでしょうが、
『マトリックス』(’99/ウォシャウスキー兄弟)の
スミスじゃあるまいしと拒絶され、
結局、私のクロゼットはまたもや古着たちで
ひしめきあうことになってしまいました。

以前、アメリカの友人から、パーティに出かけるときなど、
気合をいれて服をえらぶことを「クロゼットをカラにする」
というんだよ、と教わったことがあります。
その友人からはほかにも‘Stuff to the Gill’というフレーズを習ったことがあり、
これは「腹いっぱいだあ」という意味だそうですが、
英語なんか喋れもしないのに、どうしてこんな事だけ覚えているのだろう。

前にこのブログでも書きましたが、生まれてはじめて覚えた英単語が
Tattooだったりして、ずいぶん後で気がついたのですが、
ATGの社長だったころ、高橋伴明と『TATTOO<刺青>あり』(’82)という
映画を作ったことがあり、Tattooはよほど強く記憶に刷り込まれていたのですね、
というわけで話は英語に戻りますが、週二時間の授業があったとすると、
休みを差し引いても年間七十時間、中学、高校六年間で
計四百二十時間の英語授業のあいだ、私は何をしていたのでしょうか。
忘れないのは、日常生活にはまるで無用の単語ばかりです。

忘れられないといえば、たぶんアカデミー賞かエミー賞の
セレモニーですが、ナタリー・コールが舞台上手のスクリーン上の
ナット・キング・コールと’Unforgettable’をデュエットしたシーンを
みたことがあります。

亡くなった父親と娘の共演という趣向ですが、人生には忘れられないことがある、
という、これはなかなか心にしみるもので、
私の「忘れない」とは品格の差に愕然とします。
例によって、その直後にどこかのテレビ局がそっくり真似ていましたが、
こちらには特に見るべきものはなかったように思います。

ところで破れてしまった黒のスエード靴の二代目をと、
伊勢丹へでかけ、よさそうなのを探していたら
店員さんが寄ってきたので、黒系統のものを見せてください、
と云ったら、早速いくつかを取り出してくれたのですが、
移り気な私の視線は、となりの棚に飾ってある白いスニーカーに
吸い寄せられてしまい、衝動的にそちらを買ってしまいました。

晴れた翌日、私は颯爽とそれを履いて事務所へでかけたのですが、
目ざといスタッフからは、似合うかどうかの次元ではなく、
古希すぎて、白のスニーカーはどうよ、という批難的注目を浴びたようです。

2009/8/3 月曜日

春だったね

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 12:00:55

「僕を忘れたころに、君を忘れられない、そんな僕の手紙が着く」
と吉田拓郎が歌っていましたが、
春になると、すっかりご無沙汰だった友人からの
突然のお知らせをもらうことが多くなります。
今春、職を辞し晴耕雨読の生活をはじめ云々など
、ああ、そうかい、だからどうした、
というお決まりのものが多いのですが、ずいぶん前、
高田馬場方面にある大学からの手紙には面くらいました。
開けてみると
「卒業生の皆様へ、創立100周年記念の寄付のお願い」です。
私はこの大学から学籍抹消の通知をもらった記憶がありますので、
関係ないや、と放り出せばいいのですが、好奇心にかられて記載してある
電話番号に連絡してみましたら、とても愛想のよい男性が応えてくれました。
ご寄付いただけるということでのお問い合わせでしょうか、というので
私は卒業生でもないのに、なぜいま「寄付のお願い」がくるのかな、
とイヤミをこめて訊ねると、
いや当学の場合、中退されても、各方面でご活躍の方が多いので、
との返事です。
いや、ご活躍かどうかはしらないけれど、私は中退ではなく
除籍なんだから大学は入学記録を抹消したということじゃないの、
いや、ご希望であれば中退として扱わせていただきますが、
だいたい中退と抹消とはどう違うの?
いや、中退届けをお出しいただければ中退となりまして
学歴欄にも中退とお書きいただけます、除籍の場合は高校卒となりますので、
この際、中退手続きをなさったらいかがでしょう。
知らなかった。
用紙一枚で大学中退というガクレキになったのか。
それも入学から五十年以上もたって。

なにかのいきがかり上、自分の経歴を書いたことは何度かありますが、
たいてい中退と書いていたような気がします。
高校卒と正しく記入していただろうか、
いや、適当に書いていたような気がする。

してみると私は学歴を偽っていたことになるわけですが、
いまのところどこからも、けしからん、詐称だと怒ってくる気配もないので、
「Catch me,If you can」の気分で開き直っています。

なんだか気になる二十数年前のできごとでしたが、
すこし前、この大学は創立125年を迎え、私は今度お願いがあったら
正しく手続きをして、正しい中退になろうと思っていたのですが、
何のお知らせもありませんでした。
私には寄付する意思がないと見切ったのでしようか、あの愛想のいい男性は
すでに晴耕雨読の日々を迎えてしまったのでしょうか。

2009/7/9 木曜日

Come on a my house

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 19:00:09

少年時代、ときどきかすれながら聴こえるラジオのスターは、
美空ひばり、雪村いづみ、江利チエミの三人娘でしたが、
私はアメリカンスタンダードのカヴァを歌うことの多かった
江利チエミの曲が好きでした。
テネシーワルツとかカモンナマイハウスなどです

なぜ、そんなことを思い出したかというと、私がいま計画中の
自宅リフォームに関係があって、二年ほど前からイメージはありながら、
なにせ先立つものの理由で実行できなかったのですが、
昨年から年金生活がはじまって思いがけず収入増が実現したものですから、
せっかく老後のためにと云って始めた預金がまたゼロになるじゃないですか、
との事務所一同からの非難にもめげず、
念願のリフォームに踏み切ることにしました。

安心して暮らせる老後を考えるなら、壁一面に手すりをつけるとか、
段差をなくすとか、柱の角にクッションを張りつけるとかすべきなのでしょうが、
数年先の高齢者住居よりも、明日の快適さがほしい私なので、
悩むことはと云えばフローリングはチークがいいか、
いやカリンのごったまぜ的な味わいも捨てがたい、
それよりいっそ、壁をぶちぬいて広いリビングをなどと、
思い乱れてまとまらず、それにはまずデザインだと思いつき、
知り合いの某有名美術監督に自宅まで来てもらうことにしました。

この人はタランティーノ作品の美術を担当したり、とても高級な本をだしたり、
「情熱大陸」の取材に追われたりと超多忙なのですが、
来てくれましたね、西武新宿線に乗って、お天気雨の日曜日、
傘を片手に。

で、どうしたいですか、と訊くので
それを考えてほしいのよ、と答えたたら
はあ困ったですねえ、とペットボトルの「お~いお茶」を飲んでいました。
お茶一本でアイディアを出せ、私は何もしないという
いつもの私の悪い癖です。

でも私も当事者ですから、多少はと思い、不要なものから捨てはじめようと
近くのコンビニで大量のゴミ袋を買い込み、不用品廃棄をはじめたのですが
見覚えのないものが次々と出てきます。
なかでも物入れの奥でみつかった魯迅全集全14巻には驚きました。
いい加減に生きていた私に、はじめてマジメに人生を考えさせてくれたのが魯迅で、
これは忘れがたい存在ですから、新書版とはいえ全集があったことに、
おお、彼の言葉に心を震わせた若い自分もあったのだと
感動しましたが、問題は本の背中に整理番号のラベルが貼ってあることです。
ということは、どこかの図書館か資料室の所有物だったわけで、
とすれば私はどこから持ち出したのだろう。覚えがない。

例によって都合の悪いことは、積極的に忘れるのですね。
なあに被害者もとっくに忘れてるに違いないと、勝手に決めこんで、
全集は埃をはらい、大事に私の若い日々を書棚へしまいこみ、掃除をやめて、
夢はリフォーム後の、床暖房でぬくぬくとした冬の日々をさまようのでした。

2009/5/28 木曜日

Whatever Lola Wants

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 17:08:46

乱視気味のせいか、ボールが小さいスポーツが苦手です。
ピンポンとかテニス、それに野球も熱中するには至りませんでした。
バレーボールなら部活でハーフ・センターを守っていたくらいですから
ボールさえ小さくなければ、球技は得意なほうで、
もっともこれは九人制時代のことで、
そんなルール知っている人は、還暦以上でしょうけど。

そのせいでしょうか、
たいていの学校では運動部系の花形である
野球にはなんとなく批判的なところがあって、
ホームランのたびにどたどたとグランド一周する必要があるのか、とか、
敬遠の場合は、どうして四回も投げるのだ、
敬遠と宣言すればいいじゃないか、とか、
選手の誰でもタイムをかけられるのは、いかがなものか
試合時間を長引かせるだけではないのか、などと、
高校野球部出身の弊社プロデューサーが
軽蔑的に私を見ているのはわかっていながら、
イヤミを言い立てているわけです。

ですから、中日ドラゴンズファンらしい奥田英朗さんが書いた
アテネオリンピックでの憤懣やるかたない野球観戦記には
大笑いさせられました。

あまりの不甲斐なさに腹をたて、ののしり、絶望し、あげくの果てに
「泳いで帰れ!」と怒号するに至る、爆笑もののエッセイです。

奥田さんといえば「最悪」という長編があって、これは出版された年の、
私のお気に入りベストワンでしたが、さっそく、わがままを云って
放送開始したばかりのデジタル衛星放送ドラマ・スペシャルとして
映像化させてもらいました。
ささいな出来事に始まって、よくもまあというほど出来事が
悪いほうに転がってしまう主人公の中年男には、
そういうことってあるよなあと笑いながら
共感してしまったのです。

野球といえば、はるか昔のことですが
『くたばれ!ヤンキース』(‘58 ジョージ・アボット、スタンリードーネン)という
ミュージカル映画を観た覚えがあります。
ごひいきの野球チームを勝たせたい中年男が、悪魔に魂を売って
若いスタープレイヤーに変身し活躍する、言ってみれば
「ファウスト」のミュージカル版で、チャキチャキしたセールスマン風の
悪魔であるMr,アップルゲイトも好きでしたが、
かれの部下の魔女であるローラを演じたグウェン・ヴァードンが
「私が望むことは何でもかなうの、あなたの心なんかイチコロよ」
と歌って踊る‘Whatever Lola wants’にはかなり悩殺されて
ぼうぜんとスクリーンを見上げていました。

あの頃は、世界ではじめて脚に保険をかけて話題になった
『絹の靴下』(’57ルーベン・マムーリアン)の主演女優、
シド・チャリシィとか、
やたらと小粋に見えたジジ・ジャンメールとか、
素敵なミュージカル女優さんが
いて、私のアイドルだったのですが、
三年くらい前にたまたま見たNHKの番組で
ジジが有名な振付師ローラン・プティ夫人として活躍しているのを発見し、
久しぶりに心がときめきました。

2009/5/1 金曜日

夢の途中

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 13:06:29

私たちが作る映画のほとんどは
ロケーションでの撮影です。
どこかの公園を借りたり、
深夜の駅ビルのコンコースを
二時間だけ使わせてもらったりです。
誰かの部屋を使うこともよくあって、
たいていは断られるのに、
稀にもの好きで貸してくれる部屋の主がいると
感謝するばかりですが、
いざ撮影となると、俳優さん、監督、撮影部、照明部や録音部など
限られたスタッフだけで、ひしめきあうことになり、
私がたまに現場を見舞いにいっても
居る場所がなく団地の廊下に立ちつくすことはたびたびです。

スタジオでセットが組めればいいのですが、
なにせ低予算映画ではそんな贅沢もいえず、
野原など広々とした場所の撮影だとホッとしますが、
これはこれで天気に左右されることが多く、
スタッフは一時間おきにパソコンで
天気予報をのぞいたり、雨男とみなされるやつは、
皆から忌避されたりします。

風も大敵です。
録音部のマイクにはゴォゴォと
不整脈のようなノイズが入ってきますし、
田舎だとほこりが舞い上がったりします。
けしからぬことに、妙に芸術心に燃える監督などは、
さらに送風機で埃だけでなく木の葉や小石まで飛ばそうと企んだりして、
スタッフ一同、あきらめて暗い顔で、
せめてわが身だけは守ろうと、
大きなマスク、帽子、サングラス、手袋などでガードして
右往左往する怪しげな集団の出現となるわけで、
そんな風景を見ていると、
デジタル社会の真ん中で生きている現代の私たちとは思えず、
異空間に迷い込んだ感じがします。

でも、にくむべき土ぼこりを
実に詩的に映画に取り込む監督やカメラマンもいるわけで、
私の記憶ではヴィルモス・ジグムントという撮影監督がそうですね。
『天国の門』(81/マイケル・チミノ)ではマジックアワーと呼ばれる
限られた撮影時間内でしょうが、幌馬車隊が薄埃を巻き上げながら丘を進んでいく
フルショットは印象的でしたし、『未知との遭遇』(77)ではヘリやUFOが
裸の岩山に砂煙をあげて天から降りてきました。

私がDVDまで買い込む破目になった
『ロング・グッドバイ』(73/ロバート・アルトマン)
もこの“土ぼこり系”撮影監督によるものでしたが、
ロスアンジェルス舞台のフィリップ・マーロウものの
ハードボイルドなのに、なんだかダラダラした砂浜や、
マーロウが友人を探しに行くメキシコの田舎町の景色、
なによりもラストで主人公が
でたらめにハモニカで吹きながら歩いていく土の道とか、
つくづく泥と土と埃をすばらしい映画的な風景に
してしまう彼の撮影には感服させられます。

ハモニカが大事だった人間との別れの合図に使われた映画では
『セーラー服と機関銃』(81/相米慎二)というのもありましたが、
最後に主人公の薬師丸ひろ子は新宿の歩道橋の上からハモニカを投げ捨てるのです。

そんなこと聞くのは野暮よと思い、
『ロング・グッドバイ』との関係について
監督の相米慎二には何もいいませんでしたが、
ついさっき、
たまたまやってきた監督の塩田明彦にそんな話をしてましたら、
あのハモニカは僕のですよ、と云いだし、
私が疑わしそうな顔をしたからでしょうが、
『セーラー服と機関銃』の助監督だった黒沢清が強奪していったんですよ、
僕のものだという証明はできないけど、と悔しそうでした。
青梅街道とおぼしきあたりに放り出された塩田のハモニカは、
どんな運命をたどったのか、
彼の手元へ戻っていったのだろうか、
いくぶんか気にはなりますが、
それよりそのあと流れてくる「夢の途中」はいい曲だったなあと、
冷たく私は話題を変えてしまいました。

2009/4/2 木曜日

八月の濡れた砂

Filed under: 本日のつぶやき — admin @ 14:45:26

前回、“意地悪じいさん”と“ツィゴイネルワイゼン”と

“内田百閒氏”について書いたのですが、

たいせつなことを、もうひとつ忘れていました。

意地悪じいさんといえば、

何といっても鈴木清順さんです。

『ツィゴイネルワイゼン』(80)の監督です。

私がATGの代表をつとめていた頃、この映画を配給することになり、

そのキャンペーンで博多までご一緒したことがあります。

原田芳雄さんや、大楠道代さんも一緒だったと思います。

なぜ博多だったかというと、

この映画のプロデューサー荒戸源次郎の故郷だったから、

という、ひどく単純な理由なのですが、羽田で飛行機に乗ろうとしたら、

宣伝スタッフの誰かの心配りでしょうが、

予約してくれたのが「スーパーシート」で、

これが、らせん階段を上るアッパーデッキだったのです。

一瞬、ためらった私を素早く見咎めた清順さんが、

どうしました、さては高いところ苦手だな、

と云うのです。

そんなことありませんよ、と強がった私に、

まあ一階でも二階でも、落ちるときは同じだよ、

といやみを云うのです。

どうも、このあたりから清順さんの

意地悪温度は上がりっぱなしだったようで、

博多でプロデューサー心づくしの昼食は

川に張り出した桟敷での、

目の前の網であげた白魚料理だったのですが、

喜んでツルツルとすすりこんでいる私たちを横目に、

清順さん、頑として箸をつけない。

おまけに、

野蛮だね、この人たちは、どうも。文明人の食うものじゃないだろ

と呟くのです。

わかった、清順さんはソバと泥鰌しか食い物を知らないんだ、

こちらも江戸っ子の貧食ぶりをけなしてみたのですが、

あれこそが人間の食い物ですよ、

とひげをなぜるだけです。

間が悪いときは重なるもので、

腹ごなしに散歩でもしようかと

近くの公園を皆で歩いていたら、おう、と声をかける男がいて

荒戸プロデユーサーが、なんだお前かと応え、

あとで、誰?と聞いたら弟ですよ、

と云うのです。

得意満面の清順さん、

田舎だね、散歩すりゃ兄弟に会うのか、ワッハッハ、です。

悔しいけど私は清順さんの『けんかえれじい』(66)が

生涯のベストテンに入っているくらいですから、

陰では、あの人、四十過ぎてすぐの頃から、

私のような老人に云わせると、

と、とぼけていたらしいよ、

など悪口を触れ歩いてウサばらしするのが精一杯です。

そういえば『けんかえれじい』のカメラマンは萩原憲治さんという名手で、

この方には先日、シロウズが制作したWOWOWのドラマW『天国のスープ』で

パン棒を握ってもらいましたが、日活がロマンポルノに移行する直前の

青春映画の傑作『八月の濡れた砂』(71/藤田敏八)も萩原さんでした。

私の古い友人の名前が助監督としてクレジットされていたり、

思い出深い映画ですが、

海を滑っていくヨットを俯瞰でとらえたショットに流れてくる

石川セリのエンディング

「あの夏の 光と影はどこへ行ってしまったの」

は忘れられないですね。

近年、歌手復帰してくれたそうで、うれしく感じていますが。

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