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結成56年、南の島の長寿バンド!

終戦の翌年。沖縄県の石垣島に住む若者たちが、一つの楽団を結成した。それが《白百合クラブ》。彼らの暮らす集落"白保"と、彼らが歌い遊んだ海岸"百合ヶ浜"からつけられたクラブ名だった。以来、白百合クラブは現在に至るまで、オリジナルのメンバーで活動を続けている。オジイ、オバアが歌い踊る様は、あの《ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ》に登場したキューバの老ミュージシャンたちを彷彿させる。おそらく日本一の長寿楽団だろう。

すべてが手作りで始まった

結成当時、石垣島も戦争の傷跡が人々の心に暗い影をもたらしていた。白百合クラブのメンバー自身もそうだった。そんな時代に人々の心を癒し、自らも奮い立たせるために、白百合クラブは歌い踊った。とはいえ戦後のなにもない時代である。マンドリンは瓢箪で作り、バイオリンの弦は墜落した戦闘機のワイヤーを張った。衣装はパラシュートの布で手作り。舞台の背景はセメント袋を張り合わせて絵を描いた。すべてが手作りの白百合クラブは、明るく朗らかな歌声を島に響かせていった。

島の大スター白百合クラブ

白百合クラブのステージは盛況で、公演で得た収入から公民館に拡声器を購入したり、学校に楽器を寄付するなどの活動を続けていった。白百合クラブに入りたいと言う人も大勢いたけれど、入るのは難しかったと言う。メンバーの方の話によると、当時入団できた者は友達から羨望の眼差しで見られたと言う。また石垣島の中で、彼らを模した楽団もあちこちの集落で結成されるほど、彼らの活動は注目されていたらしい。

音楽との自然な関係

彼らはいわゆるプロのミュージシャンではない。音楽が好きな若者が集まり、自分たちと観客が楽しむために歌い踊り続けてきた。メンバー全員が普通の家庭と、普通の仕事を持ちながら、生まれ育った白保の集落で暮らしながら、音楽を続けて来た。メンバー全員が素晴しいテクニックを持っているわけでもない。しかし、全員が音楽を愛し、仲間を想い、楽しく音楽を続けてきた。その自然体の姿が、見る者、聞く者を肩の力の抜けた幸せな気分にさせてくれるのかも知れない。

そして現在の白百合クラブ

映画監督中江裕司が彼らの自然体な姿に心を奪われ、THE BOOMのメンバーに紹介したところ、2002年の秋に『THE BOOM presetns ウチナー・ビスタ・白百合クラブ』と題した東京ライブが行われた。映画『白百合クラブ 東京へ行く』はこの模様を中心に、白保での白百合クラブと彼らの背景にある人と人のつながりを描いたドキュメンタリーだ。このライブに集まった東京の若者達に熱狂的に迎えられた白百合クラブのメンバーは、現在も石垣島の白保で日々の生活と音楽を楽しんでいる。

白百合クラブの人々

白百合クラブのメンバーは会長の西玉得浩さんらオリジナルのメンバーを中心に現在に至っています。正式なメンバー以外にも大勢の人々が関わってきました。音楽を中心に人と人が結びついて、一つの歴史が作られてきたと言えます。

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(c)白百合プロジェクト  写真:岩根愛
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