『カナリア』公式サイト 監督の部屋 02
2005/03/25更新
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インタビュアー=持永昌也(もちなが・まさや)
──それにしても、よく光一と由希という困難な役柄を体現してくれる二人の若い俳優を発見することが出来ましたね。
塩田:本当です。どこかにいるに違いないと確信していましたけど。確信してると言いつつ、見つからなかったらどうしようと不安に眠れぬ日々でした(笑)。
──光一役の石田法嗣さんとは、BS-iの『あした吹く風』でもご一緒されていますが?
塩田:彼がまだ9歳か10歳のときに仕事をして、単に人間同士として気があったということもありますし、そのときの印象として走る姿がなんともいえず美しかったんですよ。普通にしていると今どきのやんちゃな男の子だけど、作り込んでいけば闇を持った光一の方向に持っていけるんじゃないかという考えはシナリオを書いている途中からあって、ある程度までは彼を想定していました。ちょうど変声期も終わる頃だろうとイメージしながら……。あと、うなじに哀愁があるのもポイントでした。本人はまったく意識していないにもかかわらず、うつむいたりするとドキッとさせられる。どこかそういうものを持っている子で、それがひとり孤独な闘いを強いられる少年のイメージに相応しかったんですね。
──今回、光一はものすごく走っていますけど、あの撮影に問題はなかったのでしょうか?
塩田:裸足で走ったりもしていますからね。でも、ぜんぜん問題はありませんでした。走るのが得意だと自分でも思っているらしく、中学に入ってからは陸上部にも入っていると言ってましたから。たぶん、あまり練習には出ていないと思いますけど(笑 )。
──谷村美月さんの存在感も強烈ですね。
塩田:由希が関西弁を喋るという設定は、あるときふと思いついたんです。最初は九州とか北海道とかいろいろ考えていたんですが、関西の日本海側、あるいは琵琶湖あたりを起点に西から東への移動を考えたときに、女の子は関西出身という設定になった。そんなある晩、由希という女の子が突然大量の台詞を僕の頭の中で喋りはじめたんです。プロット段階では、構成や動きしか書いてなかったんですけれど。そのとき僕は疲れていたのでシナリオは明日から書こうと横になっていたのですが、いきなり由希が喋りはじめて眠れなくなったので、ノートを拡げて彼女の声を書き留めていったんです。数時間でノート10ページくらいが埋まってしまって、それで由希のキャラクターが決定したという感じです。
──由希は、関西弁だからあれだけの台詞を喋るということもありますよね。
塩田:そうですね、標準語だと難しかったと思います。
──それにしても、演技が驚異的なまでに達者ですが、素材として良かったのでしょうか。
塩田:はじめて谷村美月と顔を合わせた時は、まるで由希とは違うイメージだったんです。オーディションで一番最初に出会った女の子なんですが、当時は長髪だったし。その瞬間、強く惹かれるものを感じたんですが、これから何十人も選考していくのに、一番最初の子がいちばん良かったというのではオーディションとして失敗という印象があるじゃないですか(笑)。いろいろ探したあげく、ようやく見つかった、というストーリーが僕の中に出来上がっていたし(笑)。でもすごく気にかかっていたし、絞り込んでも絞り込んでも、候補として残るわけです。それで、最後の三人くらいまで選んで、光一役の候補も同じくらいいたので、両方の組み合わせでいろいろ演じさせてみたんですよね。すると、女優単体として見ても、彼女がいちばん芝居のテンションの起伏が激しかった。なおかつ、石田法嗣といちばん仲良くなれなさそうだったんですね。ありえない組み合わせの二人だった。彼女しかいないよなぁ、と思いつつ、でもオレの抱いている由希のイメージとは何かが違うっていう迷いがあったけれど、どちらを取るかと言うと、いま現実に目の前にいる、ものすごく強い何かを発してるこの子を取るべきだろう、と。そうしてキャスティングしたものの、まだ多少の不安はあったんですね。それで衣装合わせの時、どうしても由希はショートカットの女の子という先入観が抜けなかったので、「髪の毛を切ってもいいか?」と訊ねたんです。すると彼女は 「それは全然かまわない、生まれてから一度も髪を短くしたことはないけれど」と答える(笑)。それで、「冒険だよ、人生には冒険が必要だ」とかヘアメイクの人に相談しながらショートにしてもらったら、とたんに僕がイメージしていた由希が目の前に現れた。びっくりしましたね。顔つきから何から、その瞬間に由希へと変貌していましたから。
──ほとんど俳優としての経験のない二人の演技は、何度も何度もリハーサルを繰り返して引き出されたのでしょうか?
塩田:人前で激しい芝居をすることを恥ずかしがらないように、公園とかで大声だして芝居させるみたいなことは何度かやりましたね。ただそういうときに「このように演じなくてはならない」みたいな細かい注文はあまりつけない。ただこの光一というのはこんな少年なんだなとか、由希ってのはこういう女の子なんだなってことだけ実感してもらうというか。それで現場では僕はテストが1〜2回で、実際にカメラを回すのも3テイク以内という方針なんです。それで、たいがいワンテイク目を使っていますね。才能のある人ほど、速く撮った方がいい。世の中には、才能のある人とうまい人とヘタな人がいて、うまい人は何度でも同じ芝居をキープできるのですが、才能のある人は一瞬にしてピークに達してしまう。あとは落ちていくだけなので、リハーサルでは作りきらない方がいいんです。一発勝負で、ガーンとやらした方が……。だからテストの時は「力を抜いて、本気になるなよ」と言って、どう動くのかわからないまま本番。たいていの場合、その演技がいちばんいいですね。
──それは凄い演出のテクニックですね。もっと緻密な演技指導を繰り返しているとばかり思っていました。ということは、重要なのはキャスティングということですね。
塩田:そうですね。あとはただ、彼らにはそれができるはずだと信じてあげるだけですね。
──最初に集大成という言葉がありましたが、キャスティング的にも塩田監督のこれまでの作品の総ざらいといった趣きがあります。
塩田:そうですね。りょうさんにしろ、つぐみさんにしろ、水橋君にしろ。もういちど仕事したい人に集まってもらった感じです 。
──西島秀俊さんも素晴らしかった。
塩田:良かったですよね。あの役を西島君というイメージはかなり早いうちから、僕の中にありました。西島君に迫真味があるので、あの長台詞が僕の訴えたいテーマの核心だと受け取る人も多いみたいですね。僕としてはそういうつもりはなくて、あれは真っ当すぎるほど真っ当な論理だけど、それが通ったら宗教はいらない、という気持ちです。むしろ、そのすべてが自分自身に突き刺さるのを必死に受けとめている伊沢(西島君)の痛々しさが僕にはとても感動的に思えるんですけど。
──つぐみさんが歌う曲は、なぜ「君の瞳は10000ボルト」なのでしょうか(笑)。
塩田:あれは、積極的な意味は特にない。なにか昭和歌謡が欲しかったんです。「銀色の道」に関しては最初から決めていたので、昭和歌謡で印象には残るものの「銀色の道」ほどのインパクトのないものと思って、あの曲を選びました。りょうさんがね、どこかで光一や光一の母親と通じあうようにね、つぐみにはどこかで由希と通じる何かがあるような気がして。それで彼女にも何かバカっぽい曲を歌ってほしかったんです。
──音楽が大友良英さんというのは、どの時点から決まっていたのでしょうか?
塩田:シナリオが書きあがって、スタッフワークを組みはじめた時ですね。実は僕は大友さんの音楽はそんなによく知らなくて、松田広子プロデューサーからの推薦です。
──今回の音楽は、大友さんの映画音楽の流れの中でも新基軸ですね。
塩田:初顔合わせでしたけど、大友さんはとても素敵な方でした。僕には今回の音楽は打楽器だという考えがあって、「でも、打楽器しか使わないでください」なんて希望したら大友さんもやりにくいよな、と思いながら撮影前に打ち合わせをしたら、大友さんの方から「打楽器でやりたいんですけど」という言葉が出た。「同じ考えじゃないですか。だったら、本当に打楽器しか使わないでやってほしいんですけど」と希望を漏らしたら、「いや、望むところです」みたいな(笑)。
──エンディング・テーマのZAZEN BOYSは、光一の唱えるお題目と共鳴しているのでしょうか?
塩田:まさに、ZAZEN BOYSは現代のマントラだろうと思ったのは大きいですね。あれは映画の準備中に向井さんがサンプル盤を送ってきてくれて、その「自問自答」の歌詞をフルバージョンで聞いたら、オウム脱会信者の苦悩のように聞こえたんですね。俗世にまみれて生きていくんだといいながら、この世に理想はないのかと悩んでいる人の感覚に通じるものがあると思って、これはオウムを生んだ気運と紙一重かもしれないと感じた。そういったのたうちまわるような心情がすごく出ている気がしたんです。向井さんというのは僕よりひと世代下の人ですが、いまだにその感覚は日本を覆い続けているんだなと思いました。
※これ以降は、映画の結末に関して言及されているので、ご観賞後にご覧下さい。
──問題のラストですが、ひとつの解釈として光一の祖父である品川さんの役柄は、すでにモンスター化しているのではないか、と。それで光一も天使になっていて、いってみれば永井豪の「デビルマン」の結末に近いものなのではないかと感じたのですが、いかがでしょうか(笑)。
塩田:「デビルマン」と言われたら、それはなによりも光栄なことです(笑)。白髪はむしろ「あしたのジョー」ですけど(笑)。いや、冗談です。あそこで僕がやろうとしたことは、光一という教団から強要された言葉しか喋れなくなっていた少年が、そこから脱走したときに、こんどは世間の側からおまえはこうすべきだと言われて、最も親身に聞こえる西島君の声ですら自分の言葉ではない。それまで光一に向かって、さまざまな言葉がこうでなければいかんといわれることすべてとは違う言葉を 、光一が自分の言葉として語る。でも、それがもしかしたら教義の核心だったのかもしれない、っていうことなんですね。
──それが「われはすべてをゆるすものなり」という言葉なんですか?
塩田:そうですね。
──でも、そこまでの言葉を口にするのは天使なんじゃないかな、と。再生したわけですよね?
塩田:解脱ですね。そうとも見えるというか、解脱かどうかはわからないけど、最も安易に人が他人の言葉として発しそうな言葉でもある。つまり、宗教の側にあるのかもしれない言葉を、光一が自分の言葉として初めてつぶやいたんですね。それは俗世にとっては恐ろしい、というかあまり認めたくないことだと思うけれど、そういうことが起こりえないとは誰にも言えないと いうことです。
──今回、台詞が過剰に多いのは狙いですか?
塩田:狙いです。フィクションとしての強度を高めるためには、台詞の自然さなんてどうでもいい、と。たとえば12歳の男の子が、普通の12歳はこういう喋り方をするよね、という喋り方をしたってそれだけでは別に面白くないし、日常で振る舞っている表情を捉えても、この映画は成立しない。そういうことの魅力を描く映画があるのは判るんですよ。たとえば『誰も知らない』は、そういう映画だと思うし、その方法論の徹底性においてとても魅力的な作品に仕上がっていると思うんだけど、僕のこの映画は思いっきりフィクションの強度を高めたいわけで、オフビートさやナチュラルであることの魅力はどうでも良くて、激烈であるかないかだけだと。台詞も、不自然でもいいから強い台詞でなきゃいけないということなんですね。それを子供たちにどういわせるかという闘いでした。
──これまでの塩田監督の映画は、一貫してアクションの映画だったと思うのですが、今回は台詞の比重が大きいですね。
塩田:そうですね、画で描かなきゃいけないというのは映画の基本なんですが、たとえ映画が野暮ったくなってもいいから、映画として言うべきことはすべて言う、ということです。なぜなら、人間は喋る生き物だから。なおかつ、オウムであれ教団であれ、教義というのは常に言葉なんですよ。言葉そのものが世界を覆っているんです。それをテーマとする以上、映画の洗練なんてどうでもいいという考え方ですね、今回に限っては…。
──言葉の政治の世界ですね。
塩田:方向性としては、増村保造でもあるという。あとロッセリーニですか。
──しかし、この映画をどう受けとめるんでしょうね、みんな 。
塩田:僕と同じ世代くらいの男性の反応が気になります。みんな、自分にとってのオウムという経験を抱えていますから。それだけに映画を「映画」として受けとめることのできない人も多いかもしれませんが。
──ラストの光一の台詞も、衝撃的でした。
塩田:それは、すごく考えたところでした。あんなシンプルな表現でいいのかと思いますけど、表現は突き詰めるとシンプルになるという(笑)。いろんな光一の可能性を思考実験のように考察して、光一がどういう運命をめぐりうるのか自分なりにものすごく考えたんですよ。自分で自分を精神分析しているような 状況になって、危うくなったんですけどね、一時期。その中には本当に最悪の結末もあって、登場人物の全員が血を流すような結末もあって、それはそれでひとつのリアルだと思えた。ところが、僕がオウム真理教に端を発した、特に自分の意志でなく教団に入れられてしまった少年のその後の物語を描くにあたって、最悪の道に至る道を描く意味が自分の中で確信できないというか、これがリアルであるという居直りだよな、自分は何も加担せずに正義の側に立っているよな、と。作家の責任の取り方として、それはどうなんだろう。由希や光一は自分の子供の世代であって、彼らの親こそが自分の同世代であって、この題材を描くとしたら僕は告発される側にある。そんな自分が何で正義面できるのか、というのがあるわけですよ。そうではなくて、それとは違ったある可能性を自分が光一を通して見つけ出し得たときに、本当の意味で僕はこの題材と向き合ったと言えるのではないか。その中で、自分が否定されることもあり得るのだという構えでいかないと、安易な露悪趣味に陥ると思ったんですね。そうやって、いろいろ考え直すうちに現在の結末へと至りました。光一が自分を超えていくというか、光一が選ばずに光一と、光一であることが見事に一致してしまうみたいなことになって、これでいいんじゃないかと思えたんですね。 当然、賛否両論が渦巻く予測はありましたけど。
──今回、賛否両論を巻き起こす問題作ですよね。
塩田:巻き起こすつもりはなくて、僕的には絶賛の嵐のつもりなんですが(笑)。現実は、なかなか思い通りにはいかない(笑)。とにかく、あまり予備知識で武装しないで自分を素にして見てもらいたい映画ですね。そこで映画に出会い映画と自分の間に起きたことをひとつの"体験"として受けとめてほしい。意味だとか何とか、その後、充分考えてもらっていいですから。
Vol.1の内容
●集大成としての『カナリア』
●価値観の闘争を描きたい
企画/オフィス・シロウズ 製作/オフィス・シロウズ/衛星劇場/バンダイビジュアル
配給/シネカノン *日本映画エンジェル大賞受賞作品
2004年/132分/カラー/1:1.85
(C)2004『カナリア』製作委員会