『カナリア』公式サイト 監督の部屋 01
2005/03/19更新
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インタビュアー=持永昌也(もちなが・まさや)
──とても感情を揺り動かされる映画でした。見終えたあとで他のことを考えられなくなって、情緒不安定な心理状態に陥ったくらいです。
塩田:魂を揺さぶるような作品を作りたいとはつねづね考えているのですが、今回は特にその思いが強かったですね。これまで撮ってきた作品では、毎回、それぞれに探求するテーマがありました。OVの『露出狂の女』と劇場映画1作目の『月光の囁き』ではポイントが違うし、ひとつの作品に僕のすべてを出せるはずもない。この題材だから何が出来るのかと考えながら、『黄泉がえり』までやってきたわけですが、これまで試してきたり、考えたりしてきたことの全部をあわせたら今このネタに取り組めると思ったわけです。
──塩田監督にとって現段階での集大成、ということですか。
塩田:そうですね、ある意味では……。
──この映画は、ある意味で戦争映画ではないかと感じたのですが?
塩田:それは嬉しい解釈です。この作品のもとになっている映像というのが、オウムのサティアンから強制的に保護された子供たちの異常に殺気だっている目つきだったんです。「こんなに闇のある眼をした子供が、現在の日本にいるのかよ」と。そこから連想したのが、カンボジアのジャングルに残って抵抗活動をしている追いつめられたポルポト派の少年兵士たちの眼でした。僕の頭の中で、その二つの映像がふっと重なりあった瞬間、すごくリアルに「あ、オウムって内戦を仕掛けたんだ、あれは戦争だったんだ」と、とても強く実感できた気がしました。
──確かに、ひとつの戦争だったと思います。
塩田:革命というよりは、戦争という言葉の方が相応しい気がしますね。
──日本は一見、平和のように見えるけれど、実はさまざまなレベルで戦争に近いものが勃発していて、光一の立場もそうですが、由希の方も戦場にいるんだなという印象を受けました。
塩田:彼女にとっては生活基盤である家庭そのものが戦争状態だから。目の前の敵と戦うために、世界そのものと駆け引きしている。
──最初の構想を得てから撮影までには、どのくらいの時間がかかっているのでしょうか?
塩田:オウム真理教の起こした事件に関して、なんらかの答え方を映画の側からしたいという思いは事件当初からありました。ただ、その当時の僕はまだ映画監督ですらなくて、具体的に子供たちをベースに描いていくことで何か語れるのではないかと思ったのは『害虫』を撮ったあとです。あの強制保護された子たちがどうなったのかと気がかりで、足取りを追ってみたりもしたんですよ。それとは無関係に、たとえば日本にはいまだに孤児院というものがあって、注目はされていないけれど孤児たちがいる。むしろ、数としては増えているのかもしれない。その孤児院に養父となるかもしれない親たちが訪れて、子供と面談を行ったとき、養父があの子ではなくこの子を選ぶというのはどういう感覚なんだろうと想像したんですね。視点を逆転させて子供の側に立てば、「なぜ、自分ではなくあの子が選ばれたんだろう?」という気持ちになるだろうし、そんなことが三度、四度と繰り返されたら、この子供はどうなってしまうんだろう、と。いかなる事情があったにせよ生みの親と離別して、そのうえ養父となるべき存在からすら選択を拒否されるのは過酷すぎる体験ですよ。もちろん現実の里親探しのシステムというのは、こういう問題点の数々にね、具体的な試行錯誤を重ねて、子供にとっても里親にとっても可能な限り最良の選択がなされるようなっているんだと思います。ですからこの問いかけは、あくまで僕の個人的な倫理上の問いかけでしかないわけですけど。そういう風にそれぞれ別に考えていた二つのモチーフがある日、とつぜん僕の頭の中で結びついて、ああ、ここから何かが見えてくるかもしれないと思って、松田プロデューサーに助けられつつ、約一年かけてシナリオを書き上げました。
──主人公の名前は、光一ですね。たまたま昨夜、『どこまでもいこう』を見直したのですが、あそこに登場する少年のひとりも「光一」という名前ですが、何か因果関係があるのでしょうか?
塩田:ストーリー上のつながりはないのですが、僕の中のキャラクターの描き分けとして、少年を描くときに三つのパターンがあるんです。明というのは、内面的だけど子供っぽさを持っている基準値になるキャラクターで、繊細さとバカさを併せ持っている。いちばん僕の分身に近くて、これが『どこまでもいこう』の主人公ですね。これに対して光一というのは、僕が知らない闇を持っている少年です。明をコミカルな方向に振るとヒロシというキャラクターになって、これはBS-iで撮った『あした 吹く風』の主人公です。だいたいこの三つがベースになっていて、今回の『カナリア』も仮に「光一」と名付けていたら、他の名前に直せなくなっていったんです。
注)2人の姓について
岩瀬という名から連想したのは「崖っぷち感」。崖っぷちに立つ光、というイメージで岩瀬光一と名づけた。新名は、状況に応じていろいろ名前を使いわける由希が、最終的には親から与えられた「由希」という名をみずから選び直す、という意図 を込めて新名由希とした。
──なるほど。奇しくも是枝裕和監督の『誰も知らない』の主人公も明という名前で12歳という設定でしたが、あの作品を塩田監督はどのようにご覧になりましたか?
塩田:ちょうど『カナリア』の脚本を書き終えて、撮影の準備に入る段階で拝見しました。是枝監督とは確かひとつ違いで、ほぼ同世代にあたるだけに、非常に近い部分があるなという思いは 以前からありましたね。本来なら自分の子供にあたる世代へ注ぐ視線のあり方にも近いものを感じたし、たまたま撮影も同じ山崎裕さんにお願いしたので似たような絵柄もあるかもしれませんが、根っ子のところでの世界観というか、描き方はまるで違うと思います。考え方は、真逆に近いくらいかもしれません 。
──今回、あえてセンチメンタルであったりドラマチックになることを畏れずに描いていると感じたのですが、そういった演出は意識されていましたか?
塩田:センチメンタルたろうという意識は別になかったのですが、ドラマチックであることは、その言葉は使っていなかったけれど 目指していました。すべてがぶつかりあう世界であり、その激烈さなんだ、と。愛というテーマをひとつとっても、いろんな意味での愛情関係が描かれていくわけですが、根本にあるのは傷を舐めあうような癒しではない。癒しという言葉を抹殺してやるとすら考えてました(笑)。人を好きになったり愛するということは、どういう愛情関係であれ激烈なんだから、映画もそうでなきゃいけないんだ、と。そのためにはさりげない省略の美学なんかありえないし、ほのめかしの愛情関係なんてないという考え方でやってました。
──塩田監督の作品は、いつも人間の同士の関係性が官能ではなく闘争ですよね。
塩田:そうですね、価値観の闘争をやっている感じがあるんです、いつも。
──オープニングでテロップが出て、ナレーションも流れる。しかも、それが尋常でなく長い(笑)。こういう挑発的な作り方も意図的に選んでいるわけですか?
塩田:ナレーションやテロップでの処理は、もともと好きなんです。ただその使い方は映画によってそれぞれで、『月光の囁き』だと多少はモノローグが入ってくるけれど、基本的にはストーリーに映像が準じていて、物語のエモーションを映像と音で実現させている。モノローグも基本的には物語をより円滑に進めるために使用されている。その逆が『害虫』で、ストーリーとしてのまとまりはなくても構わないから、断片の集積の強さでやっていくんだ、という形式の映画ですね。だから、映像とテロップによる言葉が、むしろぶつかりあうように配置されています。映像と言葉がぶつかりあうなかで、もうひとつ別の意味なりエモーションなりが立ち上がってくるっていう。今回の『カナリア』に関していえば、お話を語ることで費やす時間でもっと他のことを描きたかったので、基本設定を最初にテロップとナレーションで語ったわけです。ある意味、エリック・レッド が「ジャッカー」という映画でやったこととおなじというか。
──由希は、すごい量の台詞を喋っていますね。ほとんど病気のように何かを語り続けていますけれど…。
塩田:ひとつには、光一が世界のせめぎあいの狭間で言葉を失っていて、彼は喋ろうとしても他人の言葉しか出てこない。それが最後にいたって、ようやく自分の言葉を口にするという組み立てなんですけれど、それに対置するかたちで喋り倒す存在が由希なんですよ。言ってることは、そのつど前後がないけれど、口にしているのは彼女自身の言葉である。ぜんぶ繋ぎあわせたらまったく矛盾しているんだけど、トータルでは彼女の方が正しいことを言っているのかもしれない。それはひとつの「矛盾」した物事のありようだと思うのですけど、そういう「矛盾」というものをひとつひとつ、つぶさに拾い集めて描写していくことが今回の映画作りのテーマでもありました。
──由希という存在は何なのでしょうか?光一にとっては、母ではなく妹でもなく、まして恋人でもない。りょうさんとつぐみさんの性的に倒錯したカップルを見て、光一が「女って何なんだろう?」と考えるのも主題のひとつなのかと考えたのですが……。
塩田:言われてみるとそういう気も強くしてくるわけですが(笑)。しかし僕自身が作りながら考えていたのはもう少し別のことでした。光一はニルヴァーナというカルト教団の教義を受験勉強のように学んで身につけた少年です。それに対して、俗世の慟哭としての由希と出会って、二人がぶつかりあうという。彼らがおかれている状況の根本には家族の問題があって、平和な状況で知り合ったなら絶対に友達にはならなかったであろう最悪な相性なんです。そんなふたりが道行きのように旅を続けていくことで、いろんな家族の可能性が見えてくるという構成にしたかった。彼らが最終的に立つのは、父と母の位置なんです。妹が娘の役割で。そこにいたるまで、いろんな組み合わせが行われていくという流れです。その流れの中で「レズビアン同士で家庭を築けるのか」という問題に直面しているりょうさんとつぐみさんがいて、そのりょうさんに対して光一は母親の影を見てしまう。それもまたいくつもの矛盾の積み重ねの中で起こりえてしまった出来事なわけですが、それでも、彼らにとってそれはとてもリアルな出来事でもある。ニルヴァーナの脱会信者の人たちが築いているコミュニティは、ひとりとして血縁関係はないけれど疑似家族のようで、そこに光一と由希の居場所はあるのか、と。常に組み合わせを模索したあげく、そこから離脱していく二人が最終的にはみずから父となり母となる、ということですかね。
──でも、それならば光一と由希の関係は、もう少しラブに傾いていくのではないでしょうか。
塩田:まぁ、真の夫婦愛は結婚してから育まれていくということで ……(笑)。それは冗談としても、これは『小さな恋のメロディ』ではないんだ、悠長な幼い恋の物語ではなく、もっと切羽詰まっている二人なんだという、最終的に彼女たちが大人か子供か、男か女かということも超越して、光一で由希でしかないという存在になってほしかったんです。そこにあるのは、最終的にはありとあらゆる絆であって、単に男と女としてだけ結びついているのではない、それ以上の絆なんだということなのか な。
──あの二人が恋愛関係に至らないのは、塩田監督ならではの展開ですね。
塩田:でも、旅しながらの二人が肉体的にも激しくぶつかりあうじゃないですか。そのやりとりがとてもエロティックだったという感想を述べてくれた女性の方もいましたよ。
──愛情やエロスの発露の代わりに殴り合っているわけですよね。
Vol.2の内容
●光一と由希が生まれるまで
●ZAZEN BOYSは現代のマントラ
●悩み続けたエンディング
企画/オフィス・シロウズ 製作/オフィス・シロウズ/衛星劇場/バンダイビジュアル
配給/シネカノン *日本映画エンジェル大賞受賞作品
2004年/132分/カラー/1:1.85
(C)2004『カナリア』製作委員会