黒沢 清 寄稿『アンテナ』の物語は明快だ。それは、幼少期に受けた心の傷に苦しむひとりの青年が、苦悩の果てにそれを克服し、ついでに崩壊しかかっていた彼の家族をも救ってしまうというものである。この限りにおいて『アンテナ』はまことにハッピーな映画であり、いくつかの事件を経て主人公の青年とその母親と弟との精神の病があれよあれよと治癒されていくさまは、ほとんど奇跡に近い。そして、一歩間違えれば白々しいものになったかもしれないこの現代の救済の物語が、迫真の現実性をもってこれでもかと観客の腑に落ちていくのは、ひとえに熊切和嘉の演出が並外れた丁寧さで貫かれていることによる。 主人公の苦悩のレベルは現在こうで、精神と身体にこれこれの諸症状が見られ、そのひとつひとつがゆっくりと、しかし確実に加速しながら進行していく一部始終を、熊切は余すところなく報告する。実際これは物語というより報告に近い。熊切は対象物との距離を絶妙な位置にとる。近すぎも遠すぎもしない。かと言って、醒めた客観性で武装して、器用に危ないものには近寄らないでいるというのでもない。それどころかかなり強引に青年の精神の奥底へ分け入っていこうとする。なのに決して妄想に陥ることがない。的確だ。全てのシーンが間違いなく起こったこととして観客の前に提示される。それゆえ、青年の身に振りかかるすさまじい苦悩の連打が不思議に「ありそうなこと」に見えてくる。ここが映画の強みだ。どこにでもいそうな青年がいかにもありそうな事件を経て、ある瞬間からいきなり救世主になる、そういうことが映画には可能だ。神話の視覚化と言っていいかもしれない。まだ30歳にも満たない熊切が、どうやってこの映画の特性を熟知するに至ったかは知らない。が、日本映画界にこれほどまでの老獪な若手が出現したのは久しぶりのことではないだろうか。それだけでもちょっとぞくぞくする。加瀬亮の超人的な演技力がまた見事に熊切演出に応え、我々はいつしかまるでキリストの受難劇でも見るかのごとく、襟を正して青年の苦悩の前で深くこうべを垂れることになろう。 黒沢 清 |